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実況王・清野茂樹さんに、訊いてみた。後編「清野さん、実況を演芸に、その野望は?」

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清野茂樹(写真右)きよの しげき

1973年生まれ、兵庫県出身。広島エフエム放送を経てフリーアナウンサーに。プロレスをはじめとした実況のスペシャリスト。毎週火曜深夜放送「真夜中のハーリー&レイス」(ラジオ日本)パーソナリティ。

【ホームページ】http://kiyonoshigeki.com/
【Twitter】http://twitter.com/kiyoana

前編はこちら

松之丞(以下、松):プロレスの現実は、どのへんから分かってくるんですか?

清野茂樹(以下、清):はっきりしたきっかけがあるわけじゃないんですけど、なんとなく分かってきたというか。二回戦って、一勝一敗になる、みたいな。

:ああ。

:ある日突然、じゃないんですよ。なんとなく「は!」と気づいて。どうせ次、こっちが勝つんだろうな、って読めてきたんですよ。あれ、俺、自然と分かってる、みたいな。

:なるほど。その法則みたいなのが、ずっと観てるから自分のなかでできちゃったときに、あれ、これって? って疑問が生じるわけですよね。Uインター(注:UWFインターナショナル。第二次UWF解散後、1991年に高田延彦が設立)に熱狂して、新日本に負けてうわー!って言ってるひとたちって、まだ冷めてなかったってことですか(注:1995年に行われた「激突!! 新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」のこと。5勝3敗で新日本プロレスが勝利した)。

:そうですね。僕もあのとき新日本が勝って、すげー喜んでましたから。

:(笑)

:そうはいっても、やっぱり嬉しかったんですよねえ。

:一度UWF に流れてるわけじゃないですか。

:とはいえ、本家はどっちかっていったら、新日本じゃないですか。やっぱりやったら強いだろう、というのがあったんです。

:それも本気の試合として観てた、ってかんじですか。

:観てたんですかねえ。そんなわけないですよね。うすうす気づいてたんですよね。大学四年生でしたから。あのころになると、もうそんなことどうでもよくなってるというか、目の前で面白いことやってくれるならいいじゃん、みたいな気持ちになってたと思います。

:大学の四年なら、現実の自分と向き合わなきゃいけない時期ですもんね。そのころは、まだ格闘技きてないんですか?

:きてないです、1995年は。UFC(注:アメリカの総合格闘技団体)とかK−1(注:立ち技格闘技の大会名)が始まって、ぼちぼち盛り上がってきたかな、みたいな。ヒクソン・グレイシー(注:総合格闘家)が94年に来て。高田さんが挑戦して、いいぞいいぞ、みたいな。

:ああ、そうですか。プロレス熱は、いろいろあっても冷めず。

:そうですね。プロレスの仕事に就きたいっていうのはありましたね。

:実況で。

:大学三年生くらいから、ぼんやり思ってたんですけど、実況をやるにはアナウンサーにならなきゃいけないじゃないですか。でも、アナウンサーになる、ってすごいハードルが高いように思えたんですよね。アイドル歌手になる、みたいな。

:倍率も高いですもんね。

:とても自分なんかがなれるようなものじゃない、みたいな。

:そのときまでに、しゃべりの訓練とかしてきたんですか?

:なにもやってないんですよ(笑)。

:僕もそうでしたけど、表舞台に立ったことなく、漠然とアナウンサーになりたい、と。

:そうですね。

:でも、家では古舘さんの真似してたり。

:そうそうそう、それはやってた。

:(笑)我流トレーニングを。

:我流トレーニングをやってた(笑)。

:それで四年生でアナウンサーを受けるわけですね。どこを受けましたか?

:片っ端から、募集のあった順番に。当時はネットもなかったですから、大学の掲示板を見て、募集が貼ってあると、手当たり次第に受ける。

:ええ。

:志望動機を聞かれるわけですよね。「なぜ当社を志望されたんですか?」。判で押したように「プロレスの実況をやりたくて」って言っていて。通るわけないですよね。

:ガチの子が来ましたねえ(笑)。

:ほんとガチだったんですよね。当時中継をやっていたのがテレビ朝日と日本テレビの二社だったんですよ。他のところで「プロレスやりたい」と言われても、やるとこないよ、と。

:え、プロレスやってないところでも、「プロレスの実況やりたいです」って言ってたんですか(笑)。

:そうなんですよ。

:(笑)すごい熱意ですね。

:あっさり終わっちゃうわけですよ、面接。「あ、そうですか。うちやってないからねえ、はい、どうもありがとう」って。僕も、さすがにこれは連戦連敗だ、まずいなあ、と。変えようかな、「はい、わたしは高校野球をぜひやってみたいです」とか言ってみようかな、と思ったんですけど、所詮嘘だから。出てこないんですよ。どうしようかな、やっぱりプロレスやりたいで通そうかな、と迷ってたときに、広島エフエムの募集が貼ってあって、受けにいって、同じように志望動機で「プロレスの実況を」って言ったら、その日は終わらなかったんですよ。

:はあー。

:「君、プロレスの実況ができるの?」。あ、返しがきた! と思って。

:ようやく(笑)。

:待ちに待った(笑)。「できます!」「じゃあやってみて」で、ラジオのブースに入って、そこでやったんですよ。そしたらできたんですよ。

:これは才能でしょうね。幼少期から学んだ。

:それで採用ですね。

:(笑)そんな漫画みたいな話あるんですね。それで入って、プロレスの実況いきなりできないですよね。なにから始めるんですか。

:最初はニュースですね。ニュースをきちんと正しく読む。アナウンスの基礎というか、3分58秒できちんと合わせる、時間を読む訓練。残り30秒ならここまで読めるな、最後は天気予報で調整して、「以上、清野がお伝えしました」で、ぴたっと終わらせる。

:ニュースをやって、他のスポーツもやるんですか?

:ニュースのみ。で、やがてラジオパーソナリティをやらされるんですよね。自分の番組を持て、と。

:清野さん、もともとラジオっ子だったりするんですか?

:しないんです。全然。

:(笑)完全にプロレスのみ。で、番組を持って。

:23歳で自分の番組を持って、音楽番組をやるんです。

:音楽に興味は...

:そこは幸い、高校でブラスバンド部と、大学でギター部だったので。あれは助かりましたね。

:それでどんな技術が培われるんですか?

:僕はわりと、正しくきれいにおさめる、というかんじでしたね。AMっぽいノリでやっていたと思います。英語とかしゃべるのが好きじゃなくて。でもイントロのせ、ってエフエムは必ずやるんですけど、26秒なら、26秒にのせて曲を紹介する。

:その26秒間で、自分の個性を出せる。

:そうですねえ、ただ、1番組1回につき、30曲ぐらいそれをやるんですよ。

:うわっ、すごいですね!

:っていうと、もうそこでオリジナリティがどうのこうのとは。

:型通りに。それをどのくらいやられたんですか?

:十年やりましたね。32までやりました。

:33は変えたんですね。どうなったんですか?

:もうそろそろ、いいかな、と。「プロレスが好きだ」と番組のなかでよく言ってたので、プロレス関係者が僕の噂を聞きつけて、来るようになってきたんですよ。新日本プロレス、全日本プロレス、(プロレスリング・)ノア(注:三沢光晴が創設)、(プロレスリング)ZERO-ONE(注:現表記はZERO1。橋本真也が創設)、FMW(注:大仁田厚が創設)、いろんな関係者が、広島で興行を打つときに、宣伝に協力してください、って来る。なかでも、新日本プロレスと一番つながりが深かったんです。そのうち、○○選手がこんど広島でトークショーをやりますから、その相手をしてください、とか頼まれて、司会もやってたんですけど、ある日、「トークショーの司会をふってもらうのは非常にありがたいんですけど、実は一番やりたいのは実況なんですよ」と。で、「たとえば、会場の中だけに微弱なラジオの電波を飛ばして、来たお客さんがラジオを聞いたら実況が聞ける、みたいなサービスやりませんか?」と酒の席で言ったら、「それいいですね。企画書を持ってきてくださいよ」と言われて。

:ふんふん。

:その日すぐに、会社に帰って、企画書をつくって新日本プロレスに提案したら、「やりましょう」って言ってくれたんです。で、実現したんですよ。場内エフエムラジオ実況という。

:それ、相撲でも。

:そうです。あのシステム。

:「どすこいFM」ですよね。

:「どすこいFM」と同じことを29歳のときに提案したらのってくれて。それが実況デビューです。「どすこい」をお手本にして、企画書を書いたんですよ。

:初めての実況、どうだったんですか?

:やったことないわけじゃないですか。やってないんですけど、意外と、やったらできちゃった。

:またできたんですね!

:そうなんですよ。死ぬほど楽しくて。地元のテレビとか新聞とかも取り上げてくれて。よかったな、と思ったら、その四ヶ月後くらいにまた新日本プロレスから電話がかかってきて、「このあいだのやつ評判よかったんで、同じことを東京でやろうと思ってる。両国で三日間やるから、清野さん来れますか?」って。

:それは会社的に大丈夫なんですか?

:会社に言ったら、「いいよ」って。金土日だったんで、金曜日有給をとって、行ったんですよね。こんどはお客さん、東京のひとじゃないですか。

:そうですね。

:すごい楽しくて。こんな楽しいんだ、って。しかも、あのとき初めて解説に山本小鉄さんが来てね。「わ、古舘さんの隣にいたひとがいる!」と思って。「山本さん!」っていうのが楽しくてしょうがなかったですね。俺はこれがやりたかったな、って。そういう課外活動をやるようになったんですよ。その翌年かな? こんどは「大阪でスカパー!の中継なんですけど、やってもらえませんか?」って、初めてテレビの実況をしたんですよ。課外活動が増えていくと、あれ? 広島にいる俺を、わざわざ東京とか大阪まで呼ぶってことは、これはひとが足りてないのかな? 俺にもチャンスがあるのかな? っていう気持ちがひとつと、それとやっぱり本来やりたかったのはこれだな、っていうので、いよいよ辞めよう、と。辞めるんなら30代前半だろう、と。それで辞めましたね。

:辞めて東京に来て、どうなるんですか? 

:新日本プロレスに挨拶に行ったら、後楽園ホールにお客さんが全然いなくて。あれ? 東京でこんなに人気ないんだ、と驚きました。社長に挨拶にいったら、「清野さん東京に来たんだ。ちょうどよかった。リングアナやらない?」って言われて。「今朝、うちのリングアナが辞める、って言い出したんだよ」。

:えー!

:「え、リングアナですか? それって巡業とかも全部回るんですか?」「回るよ」俺、東京にせっかく来たのに、また地方行かなきゃいけないのか、ってお断りしたんですけど。

:そうですか。

:だって、実況と違うじゃないですか。

:それで断って。

:で、別にやることないんですよね。無職で。いろんなところに挨拶に行く日々ですよね。こっちに来て最初にやった仕事って、千葉の稲毛で新車発表会の司会とかです。こんなこともやらなきゃいけないのか、フリーになったらこういうものか、と。

:そこでフリーの辛さを感じるわけですね。

:しかも東京が大雪が降った日で。朝の6時に行かなきゃいけないとかで、始発に乗って、大雪のなか行くんですよ。大変な仕事だな、と思って。1月に上京して、そんな感じ。プロレスの実況がやりたいから、プロレスの試合会場には片っ端から行ってたんですよ。3月のある日、両国の国技館に行ったときに、たまたまロビーに、スカパー!の「サムライTV」(注:プロレス・格闘技専門チャンネル)のプロデューサーがいたんですよ。

:あー。

:もともと知ってたんですね。「清野さん、辞めてこっち来たんですって?」「そうなんですよ、なんかあったら使ってください」「ぜひぜひ。うちで実況やりません?」って言うから「やりたいですやりたいです! いつからですか?」「来週から」「え、来週ですか!」

:いいですね。

:そこで始まったんですね。とはいえ、あのころはそんなに実況の仕事があったわけではなく、月に2本くらいですかね。それ以外にCMのナレーションをやったり、エフエム東京でリポーターをやったり、いろいろやりましたね、上京1年目は。手当たり次第でしたね。

:食っていかなきゃいけないですもんね。フリーでもう10年やってこられて、いかがですか。

:実況の仕事に関しては、ある程度来るので、それに関してはすごく満たされているんですよ。

:次のステップに進みたい、というときに演芸をやりたい、と。どこでそれを強く思ったんですか。

:実況は、芸ではないというか、誰でもできるな、という気持ちになってきたんですよね。

:そんなことはないですけど、そう思っちゃったんですね。

:一般のひとはできないかもしれないけど、アナウンサーであれば、誰でもできる。たとえば、僕、バスケットの実況もやるんですけど、一大会で100試合あります、と。そうするとアナウンサー何人かで分担するんです。何月何日できますか、じゃあここで、って香盤表ができるんですけど、これ、俺じゃなくてもいいじゃん、スケジュール都合で、こうやって香盤表って埋めていくんだ、と。

:なるほど。

:アナウンサーって、基本的にクレジットされなかったりとか。解説者は重要視されるけど、実況の名前は別に出てなかったりとか。これって、さほど大事な仕事じゃないんだな、って言う気持ちになってきて。これは、ワンステップ上にいくには、"芸"にしないといけないな、という気持ちに。

:それは、ずっとお好きだった古舘(伊知郎)さんの影響もあるんですか。

:そうですね、古舘さんもずっと舞台をやってたじゃないですか。表現にいってるな、俺も表現やらないといけないな、っていう、そういう気持ちですね。

:そういうタイミングで、僕がお声がけした。最初、清野さん驚いてましたよね。

:僕、そういうこと言ってたんですね。

:言ってたんですよ。「僕も実況芸をやりたいんですよ」って。それを覚えてて、今回こういう企画を、ってことだったんですけど。(立川)吉笑さんの会でもやられるんですよね(注:2016年8月10日「第6回吉笑ゼミ。」にゲスト出演する)。

:去年くらいから、ずっとそれを探ってて、でも、どうやっていいか分からなくて。吉笑さんにも、(「真夜中のハーリー&レイス」に)ゲストに出ていただいたときに、そんな話をしたと思います。

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当日のプログラムはチラシ裏面にあります。

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:それで10月6日に決まったんですけど、一席目に「猪木の舌出し」(注:前編参照)を清野さんが実況でやる、という。具体的にはどういうかんじになりますか。

:面白いのか面白くないのか、めちゃくちゃ不安ですよ。すっごい不安ですね。こないだの松之丞さんの独演会(注:2016年7月26日「神田松之丞独演会(其の四)"松之丞ひとり~夢成金"」のこと)を観ると、また超不安になりますね。「そうだよな、ひとからお金とるって、こういうことだよな」と思いながら。この、まだかたちになっていない、自分でもうまく説明できないようなものをみせる、って。

:それが一番面白いんですよ! エンターテインメントって、迷いが一番面白いんです。

:ほんとですか?

:絶対そうですよ。だって、"完成されたもの"と思って完成されたもの観に行くと、一番つまんないですもん。不安だったり、演者の恐れとか、どうなるのかとか、でも、うまくいきたい、とか、その心が全部舞台に詰まってたら、最高じゃないですか。一番金払いたいですよ、それ。

:それが出ればいいんですよね。

:どう転んでも、そこに自分の全部をつぎこんでたら、絶対金払う価値あると思いますけどね。その猪木ホーガン戦は、だいたい何分くらいなんですか?

:20分くらいかな、と思ってます。

:それをお客さんに向けて実況していく。

:猪木ホーガン戦という"古典"ですよね、落語でいうところの。古典もありつつの、完コピも、あります。自分の解釈も、あります。で、なおかつ、その試合の意味だとか状況だとか、そういった解説もあります、というかんじで。

:これ、まったくプロレス興味ないよ、ってひとが聞いたときに、そのひとも巻き込めますか?

:うーん...分かってもらえるんじゃないかな、とは思ってるんですけどね。それを説明するってことですから。「宮本武蔵がすごい」っていうのと一緒で、猪木にはこんな話があるんだ、っていうことを伝える、と。そういう意味では講談に近いのかもしれません。

:なるほど、そうですよね。では初めて観るひとでも楽しめる、と。言っちゃっていいですかね。

:そうですね。

:プロレスを好きなひとはより楽しめるという。それは講談も一緒ですよね。

:こないだの一席目は、近いな、と思いましたよ。

:「山田真龍軒」。武蔵と虚無僧の戦いですね。

:状況説明。こういうひとがいました、って話もしつつ、戦闘シーンは、がっ! てやるじゃないですか。

:そのあと僕が一席やって、大槻ケンヂさんと夢枕獏さんの対談で。清野さんが司会ですね。

:このへんは「グレーゾーン」につながる話といいますか、真剣勝負、幻想、そういったものがテーマになると思うんですよ。つまり、なんで僕らがプロレスに夢中だったのか、って考えると、やっぱり「プロレスが強い」と信じていたから。その時代の気持ちを知っているひとたちのお話を引き出すのが僕の仕事だと思うんですよね。

:さっきも言ったように、プロレスを知らないひとが聞いたときに、同じ熱量で楽しめて、置いていかれないですか。

:もしかしたら、プロレス知らないひとには分からないかもしれないですけど、世の中には、「言ってることは分からないけど、なんか面白い」ってあるじゃないですか。もしかしたらそっちを目指すかもしれないですね。

:あー、なるほど。なんか楽しそうに大人三人が昔を懐かしんでいる、それは永遠に戻ってこないんだな、ということが表現されれば、十分に面白いですもんね。

:やっぱり、「グレーゾーン」のためのものだと思うんですよね。「これだけ信じてたんだぞ」っていうのを言ってあげないと、「グレーゾーン」が立たないと思うんですよ。

:大いなるフリ、と。こんなすごい三人をつかって、フリをつくるという(笑)。お二人とは面識があるんですか?

:夢枕獏さんとは初対面です。大槻ケンヂさんとは、何度も仕事をさせていただいています。エフエムラジオ時代、入社二年目のときに、大槻さんと、一時間まるまるプロレスの話とプロレスの音楽をかける特番をやったんですよ。それを日本民間放送連盟のコンクールに出したら、優秀賞をもらったんです。それがあったから、「清野のプロレスは、賞が獲れるようなものなんだな」と社内で認められて、その後の実況の課外活動(注:前編参照)もやりやすくなった。

:なるほど。世代もちょうどバラけてますね、獏さんが60代、大槻さんが50で清野さんが40代前半で。各々のプロレス観、格闘技観も違うでしょうし。面白いですね。そして休憩をはさんで「グレーゾーン」の前にもういちどやっていただくんですけど、「失われた10年」というのは、いわゆる「ミスター高橋本」(注:新日本プロレスのレフェリーであったミスター高橋の著書「流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである」のこと)のあとの、プロレス界というか。

:はい。

:「ミスター高橋本」というのは、清野さんにとってどういうものだったんですか?

:すごい衝撃でしたね、やっぱり。

:大学時代からうすうす気づいていたものの、改めて、ミスター高橋の本が出たときの印象っていうのは、衝撃。清野さんおいくつのときですか?

:2001年ですから、26、7ですね。エフエムでやってるときにあの本が出て、もちろん買ってすぐ読んで。

:変わりましたよね、「ミスター高橋本」出てから、明らかに。

:変わったと、僕は思います。

:興行のお客さんも減りましたし、週刊誌とか、一切触れなかったんですよね。

:触れなかったですね。

:触れずに、より悪化させたという。

:そこに、格闘技の影響もありましたし。

:最近起きたプロレス界の大事件を、清野さんが語るという。

:これは完全に、「グレーゾーン」が出るまえの説明というか、フリですよね。

:何分くらいですか?

:これはそんなに長くないんじゃないのかな、という気がしてるんですけどね。松之丞さんがDVDで語ってたまくらを僕が請け負って、自分の体験を重ねて、紹介するかんじになるんじゃないかな。前説ってかたちで。

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:清野さんフリーのアナウンサーですけど、もうただのアナウンサーじゃない。演芸に手を出す、異色のアナウンサーを目指していく、ということですね。この公演をきっかけに、清野さんは演芸の道を切り拓いていく、と。

:切り拓いていきたいんですけどね。芸をやりたいんです。アナウンス芸、実況芸をやりたいんです。具体的な言い方をすると、僕は古舘さんがやってきたことを追いかけている、フォロワーなので、あのひとがやっていた「トーキングブルース」(注:古舘伊知郎のトークライブ)的な世界に少しでも近づきたい気持ちがひとつ。ぼんやりした言い方をすると、実況という仕事の価値を上げたい、ということです。

:今回は僕と絡みますけど、いずれは独演会というか、「トーキングブルース」のようなかたちで、清野さんというパーソナリティを前面に出して、ひとりで500、1000埋めて、お客さんに喜んでもらう語りのスペシャリストに俺はなる、と。

:なりたいですねえ。

:そこに突き進んでいく、第一歩ということですよね。お客さんの前でやる、ということが芸の定義ですか?

:それはひとつあるでしょうね。アナウンサーといえども、「10分ひとりでしゃべって」って言われて、しゃべれるひとって意外といない気がするんですよ。ちゃんと10分しゃべれる、っていうのは表現としてやりたい。一発目は、自分が大切にしている、やりやすいプロレスを題材にしてますけど、プロレス以外も、ゆくゆくはやりたいですね。松之丞さんはお手本ですよね。

:僕は型がありますからね。清野さんはないからすごいんですけど。型をつくっていく、という。

:そうですねえ。自分の話を聞きに、お客さんがお金を払ってくれるという状況をつくりたいですね。そこはいま、まったくないですからね。ラジオにしたってタダだし、放送だってタダだし。トークイベントとかありますけど、それはゲストの話を聞きにお金を払ってるわけで。僕の話を聞きにお金を払う、という行為は、まだないと思います。

:清野さんの最大の売りってなんですか? 他のアナウンサーにないところ。

:うーん...。

:他のアナウンサーにないところ、っていうのは、そういうことをしようという意欲ですよね。

:古舘さんをこれだけバカみたいに追っかけてるのは、他にいないかもしれないですね。優秀なかたはもっともっといらっしゃるんで。ただ、一途に飽きもせずよく追っかけてるな、と思いますね。

:古舘伊知郎への熱は冷めない。

:冷めてないですね。

:古舘伊知郎さんに認められたい、みたいな。

:うん!

:あるわけですよね。

:それ、超ありますね! それだ、それですね、最大のモチベーション。

:小学校のときに、途中でプロレス実況をやめちゃった古舘伊知郎に認められたい。

:認められたいですねえ。あなたのせいで、僕はこうなりました、って言いたいですね。

:(笑)そのための会なんだ。

:全部そうですね。ほんとそうですね。それ一番届けたいですね。

:人間の動機って、そんなもんですよね。このひとに褒められたい、とか。特に幼少時代に強く思ったひとに褒められたい、っていうのはすごい強い動機で。古舘伊知郎さんへのメッセージという。

:(笑)まだそこまで言える立場では全然ないんですけどね。「真夜中のハーリー&レイス」にも「古舘伊知郎さん呼んでください」ってリスナーからリクエストが来ますよ。関係者からも、「呼べばいいじゃないですか」って言われますけど、「いやいや、いまはとてもじゃないけど、僕なんか顔じゃないです」と。

:清野さんのなかで、自分がここまで行ったら、古舘伊知郎さんに会ってもいい、ってところがあるわけですよね。それはどこなんですか?

:えー! それはいま明確にはないですけど。古舘さんの視界に入ってないことには、話になりませんよね。

:なるほど。

:いまはまったく認知されてないでしょうから、それでは意味がないですね。

:古舘伊知郎が気づいて、認知して、ライバル視したときに会いたい、と。

:はい!

:(笑)なるほど。じゃあ、最終決戦は、古舘伊知郎を呼んで一対一の勝負を仕掛ける、と。「トーキングブルース」と、清野さんの会と。そこが巌流島ってことでしょうね。

:古舘さんの、好きな実況のフレーズにね、藤波辰爾とアントニオ猪木の試合で、藤波は猪木の弟子なんですよね。師弟の対戦があるんですけど、そのなかで古舘さんが「藤波、猪木を愛で殺せ!」って言うんですよね。いいフレーズだな、と思って。

:ああ。

:ようは、愛情をもって、師匠を乗り越えろ、ってことですよね。いまの古舘さんのしゃべりのスキルが、絶頂期は過ぎてるじゃないですか、60を越えて。あとはどこに着地するか、このまま下がっていく日が来ると思うんですよね。そこに僕が愛で殺したい、っていうのはありますよね。

:なるほどー!

:俺が古舘を愛で殺す、と。

:普通のアナウンサーじゃねーなー(笑)。

:(笑)こいつにはかなわないから、自分はもう、って日がくるじゃないですか、どんな芸にも。あのひとは、もちろん芸をやってると思うんですけど、いまはまったくそんなことは思ってないだろうし、誰に対してもそんな気持ちはもってないと思います。あと二十年経ったときに、そう思わせたいですよね。

:そのための、一歩と。

:ほかのひとには殺されたくないですね。

:自分がとどめを刺すんだ、と。

:自分が殺したいですよね。

:うわー、おもしろい。おもしろいひとだなー。ありがとうございました!


真夜中のハーリー&レイスpresents 10.6 プロレス×講談の夕べ
※ホームページ内ご予約フォームより承ります Reserve

【開催日時】2016年10月6日 木曜日 19:00開始(18:40開場)
【出演順】清野茂樹(実況アナウンサー)「猪木の舌出し」 神田松之丞「おたのしみ」 夢枕獏×大槻ケンヂ「トーク)(司会:清野) 休憩 清野「失われた10年」 松之丞「グレーゾーン」
【入場料】全席指定3800円
【会場】文京シビック小ホール
【問い合わせ先】いたちや 03-5809-0550
【プレイガイド】 チケットぴあ 0570-02-9999[Pコード:453-306]
e+ (イープラス) (パソコン・携帯)

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