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実況王・清野茂樹さんに、訊いてみた。前編「清野さん、プロレスの夢、いまだ覚めず?」

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清野茂樹(写真右)きよの しげき

1973年生まれ、兵庫県出身。広島エフエム放送を経てフリーアナウンサーに。プロレスをはじめとした実況のスペシャリスト。毎週火曜深夜放送「真夜中のハーリー&レイス」(ラジオ日本)パーソナリティ。

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【Twitter】http://twitter.com/kiyoana

後編はこちら

新しいジャンルと出会うのはワクワクする。

今まで知らなかったものが、予想以上に面白く「あー、もっと前から知っておけば良かった」

そう思う経験というのは、尊いものだ。

出会う喜び。

しかしなにより幸運な人は、幼い頃からそういうものをみて、将来こうなりたいと思い、その願いを通した人だと思う。

今回対談をさせて頂く、清野茂樹さんは、そういう人だ。

清野さんは、タイガーマスク全盛期に、プロレスと出会う。

あの頃のプロレスは、地上波で物凄い視聴率が良く、全国民、老若男女誰でもが知っていた。まさに国民的スター。

少年とタイガーマスク全盛は、最高のプロレスとの出会いであろう。

そして実は、実況アナウンサーとも最高の出会いとも言える。

その時の新日のアナウンサーは、あの古舘伊知郎である。

古舘信者になった清野少年は、大人になり、アナウンサーの道へ。

しかし、そこはやはりプロレスと古舘伊知郎に憧れすぎた人。

ただのアナウンサーではない。良い意味で普通じゃない。本人曰く、今回新しい試みをしたいんだと。。。

そんな清野さんに、お話を伺ってきました。

松之丞(以下、松):僕を清野さんの番組「真夜中のハーリー&レイス」に呼んでいただいたのはどういう経緯だったんですか(注:2016年3月22日ゲスト出演)。

清野茂樹(以下、清):松之丞さんの存在は、九龍ジョー(注:編集者・ライター)さんに教えてもらったんですよ。去年の暮れに飲んでいて、あのかたは伝統芸能にお詳しいので、講談の話が出てきて、「講談面白いですよ。一緒に教室に行きませんか?」って言われて。神田松鯉さんの。

:(笑)うちの師匠の。清野さんのなかで、講談とはどういうものか、という認識はあったんですか。

:寄席に、年に2〜3回くらい行くんですよ。そこに出ているのを観るくらいです。

:どこの寄席に行くんですか。

:池袋(演芸場)か新宿(末廣亭)ですね。

:ふわっと行くかんじですか。

:はい。計画性はなく。演目も知らないし、誰が出るかも知らないし。最初から最後まで観るわけじゃなくて、そろそろいいかな、と思ったら帰ります。

:(笑)昔のひとの寄席の楽しみ方ですね。

:まったく"通"でもなんでもない、素人なんですよ。

:清野さんも話芸のひとですけど、寄席でなにかを得ようという気持ちなんですか? それとも娯楽として。

:そうですね、娯楽で観るのが半分と。僕はひとりしゃべりのなかで、落語家さんが一番すごいなあ、と思って観に行くんですけど、それまで全然知らなかった漫才のひとが面白かったり。言葉に勢いがあって、勢い大事だなあ、言葉が前に出るかんじとか、大事だなあ、と思います。

:プロレスとの共通点を感じますか? 出囃子が鳴って、入れ替わり立ち替わり出て。

:"前座"って言葉も共通ですしね。基本的には他人のフィニッシュ・ホールド(注:プロレス用語で決め技のこと)は使わない、ってあるじゃないですか。あれって、ネタと一緒ですよね?

:つかない、かぶらないように。

:今日誰がなにを演ったのかな、と見てやるわけですよね。プロレスは、けっこうネタかぶりありますけどね。

:(笑)それで九龍さんに戻りますけど。

:九龍さんが、「講談面白いですよ」「一、二回寄席で観たことあるんですけどね」「いま、神田松之丞っていうのがいるんですよ」という話になって。

:はー。

:僕は常にメモを持ち歩いているので、すぐにメモして。「「グレーゾーン」(注:松之丞の新作講談)ってネタもやってるんですよ」って、「グレーゾーン」もメモして。

:そうやって広がっていたんですね。僕は、どうやって清野さんにたどりついたのか不思議でしょうがなかったんですけど。それでちょっと観に行こう、ってなったんですか。

:気になって。そんな注目のひとがいるのか、これは実際観に行かなきゃいけないな、と。基本的に観に行くんですよ。音楽でもなんでも。視察といいますか。

:最終的にいいかどうかは、自分の皮膚感覚で判断しますからね。

:そうですね。「いい」って聞いたけど、観たらそうでもない、ってこともありますから。それで観に行こうと思って、年が明けて(2016年)1月10日(お江戸)日本橋亭の朝練講談会に。

:そのとき確か「正宗の婿選び」という、比較的シリアスな、笑いのない話をやった覚えがあります。

:そうなんですよ。最前列で観ましたからね。

:真ん中ですか?

:真ん中で、(いまインタビュー中の)この距離です。

:(笑)まったく気がつかなかったですね。そのとき観た印象というのはいかがでしたか。

:完全に、ひとりでストーリーをしゃべるものだと思ってたら、上下(かみしも)切ってしゃべってることに一番びっくりしました。

:ああ、落語家みたいに。

:そうじゃない、と思って行ったんですよ。ひとりでぶわーっとしゃべるものだと思ってたんです。

:ずっとまっすぐ前を向いて?

:はい。

:昔はそうだったんですけどね。上下振って会話しているのが、まず新鮮。

:そうですね。あれ? これ違うなあ、と思って。落語と違うもんだ、と思って行ったから、こうやって上下切ってしゃべるんだ、会話があるんだ、なんか違うな、と思った。で、もういっかい観に行こうと思って。これは、今回そういう会だったんだろう、と。それで、渋谷らくごに行ったんです。

:はい。

:そしたら、同じ話だった(笑)。

:(笑)講談の印象は変わりましたか。

:ふらっと寄席に行くのとは違って、意図的に行ってるじゃないですか。どういう芸なんだろう、っていうのを観察しに行っているので。こうやって張り扇を使うんだ、落語と同じように、まくら的なものがあるんだ、そこで自分の師匠の話をして、で、師匠の話から正宗の話に入っていく、流れを観たりとか。

:なるほど、そっかそっか。

:もちろん芸もすごいな、と思ったんですよ。

:清野さん的に、どこが感触よかったんですか?

:うーん。引きつけてるな、と思ったんですよね。話術で、言葉で引きつけてるな、と。あの物語を、ちゃんと聞かせている、というか。で、「グレーゾーン」もやってるし、これは番組に呼ぶのに十分だな、と思って、お声がけをしたんです。

:清野さんのお眼鏡にかなった。「グレーゾーン」はDVD(注:「新世紀講談大全 神田松之丞」(クエスト)で観ていただいたんですよね。

:はい、そうですね。

:「グレーゾーン」は、プロレスファンである自分の思いみたいなのを、自分なりにかたちにしたんですよ。清野さんのような、プロレスの実況をなさっている、わたしよりもはるかに知識もあるかたが「グレーゾーン」を観ていただいた感想っていうのは。

:そうですね、プロレスファンの感情をよく表現してるな、と思いましたね。

:プロレスとか相撲とか出てきますけど、嫌な印象というのは受けなかったですか。

:それは受けなかったですね。プロレスに関してはまったく。「そうだよね」って気持ちですね。

:あ、それは嬉しいですね。そう言っていただけると。

:あと、タイトルの「グレーゾーン」がしゃれてるな、と思いましたよ。

:ああ、そうですか。昔のプロレスだと、「ケーフェイ」(注:プロレス界の隠語で「インチキ」といったニュアンス。1985年に刊行された、初代タイガーマスクこと佐山聡による同名の著書より)とか、いろんな言いかたがありますけど、「グレーゾーン」がしっくりくる。

:しっくりきますね。もし「ケーフェイ」だったら、ちょっとね。僕も硬くなってたかもしれない。

:(笑)やっぱり、思いが。

:やっぱりあるんですよ。ここはいいけど、これはなんとなく違うな、という。

:分かります。言葉選びの微妙なところ。

:はい。

:「ハーリ&レイス」に呼んでいただいたときの、初対面の僕の印象はどうでしたか。

:すごく低姿勢なかただなあ、という印象ですね。

:僕も、出させていただいた印象として、すごく丁寧にしていただいたし、スタッフさんもいいかんじで、ひたすら嬉しかったです。清野さんが超プロだな、しゃべりのプロだな、というのを感じました。違う畑のプロのひとを目の前にしてお話するのが楽しい、という印象です。僕はあの瞬間に、ひょっとしたら清野さんと、なんかお仕事するかもしれないな、という意識がちょっとだけ。

:あら。

:僕のなかであるんですけど。ひととお会いしたときに、ひょっとしたらまたお会いするかな、っていうひとにまた会ったりとか。最近だと博品館(注:2016年7月26日「神田松之丞独演会(其の四)"松之丞ひとり~夢成金"」)にも来ていただいたじゃないですか。

:はいはいはい。

:そこでまた印象の違いって、あったんですか?

:すごいありましたね。ひとりでやってるわけじゃないですか。ひとりであれだけのお客さん呼んでる。すげー! と思いましたよ。

:嬉しい!

:絶対これ俺、真似できない、と思いました。

:そんなことは。

:現状は絶対にできない。まず、それにすごいと思いました。

:三席やりましたけど。「お紺殺し」と、ちょっと滑稽な「幽霊退治」って話と、「山田真龍軒」って、おのおの種類が違った話だったと思うんですけど、どれが印象に残ったとかって。

:最初の「山田真龍軒」、すごかったですねえ。

:あ、そうですか。

:どれもよかったんですけどね。一発目で戦ってるシーンあったじゃないですか。あ、これプロレスの実況っぽいな、と思って観てました。

:印象よかったですか。

:ドライブ感がありましたよね。汗もすごいかいてたし。汗もよかったですね。

:(笑)汗ほめられた。

:汗、いいですよ。演出としてすごくいい。

:あー、そうですか。

:演者がこれだけ汗かいてるんだから、っていう。「汗」=「一生懸命」の象徴みたいなかんじがあるじゃないですか。

:プロレスもそういうところあるんですか。

:ありますあります。僕も言いますもん。「両者とも全身からびっしょり油を塗ったように汗をかいてます」って、すごい大熱戦だ、みたいなかんじに。

:渋谷らくごのときと、また印象が変わりましたか。

:もう、断然独演会がよかったですね。興行としてよかったですね。

:そう言っていただけると、嬉しいですね。僕も、初の、あれだけでかいところでの試みだったんで、いっこのわかりやすいパッケージとして、大バコ(注:大きい劇場のこと)のやりかただな、とやりながら思っていました。それを清野さんに観ていただいてよかったな、と。その信頼関係があったうえで、二人会をさせていただくので。

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:清野さんの子ども時代のことを伺っていきたいんですけど、いまおいくつでしたっけ。

:42ですね。もうすぐ3です(注:8月6日生まれ。インタビューは8月2日)。

:「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系列)が(夜)8時にやってた時期と。

:モロかぶりですね。

:タイガーマスクとか。

:モロそうです。

:国民を揺るがしていたころのプロレスですよね。エンターテインメントの神様みたいなプロレスを観ていた清野少年。

:そうなんですよ。

:それは、みんなハマってたわけですか? クラスの。

:当時はそうでしたね。観ないことには学校の話題についていけない。

:小学校何年生くらいですか?

:二年、三年、四年、特に四年くらいが一番すごかったですね。

:四年っていうのは、なにがあったんですか、プロレス的には。

:プロレス的には、事件が続出したときですよ。昭和五十八(1983)年なんですけど。

:昭和五十八年はありますね。僕が生まれた年ですよ(笑)。

:新日本プロレス(リング。アントニオ猪木が創設したプロレス団体。略称は"新日(しんにち)")史でいうと、長州力の維新軍団のブレイクが昭和五十八年ですね。それから(アントニオ)猪木の、いわゆる「舌出し失神事件」(後述)があって、病院に運ばれるのが昭和五十八年。初代タイガーマスクの最初の引退が昭和五十八年。前田日明の凱旋帰国が昭和五十八年。

:なるほど。激動の時代ですね。

:激動ですよ! 

:(笑)

:子どもですけど、プロレスの雑誌読むわけですよ。もうなんのことだかわからない。「タイガーマスク、突然の契約解除」って書いてあるんです。「契約解除を、内容証明にて新日本プロレスに通達」。内容証明ってなんなんだ? 契約解除を求める文書ってなんなんだ? って。小学四年ですよ。で、新日本プロレス社内でクーデターがありまして。猪木に対して、社長退陣要求っていうのがあったんです。実際猪木が社長を降りて、三ヶ月間社長をやってなかった時期っていうのがあったんですよね。そういうのも、全部雑誌で読むんですよ。「クーデターってなんだ?」みたいな。

:そこで「クーデター」という言葉を覚えるんですね。社会の教科書でなく(笑)。

:覚えるんです。「退陣を要求したのはトロイカ体制」トロイカ体制ってなんだ? とかね。

:面白い。小学校四年生って、すこし大人の頭になってきているし、そこにプロレス激動の時期が、タイミングばっちりハマったわけですね。

:ですね。昭和五十八年がなかったら、プロレスにここまで深く入ってないですね。

:「猪木の舌出し」って、第一回IWGP(注:1983〜87年に開催された新日本プロレスのリーグ戦)の猪木ホーガン戦で、猪木が舌出して負けたという有名な一戦ですよね。クラスでもやっぱり話題になったんですか。

:うーん、どっちかっていうと、タイガーマスクのほうが話題でした。子どものアイドルって、当時猪木よりもタイガーだったんで。「タイガー引退らしいで」「え、なんで?」「なんかわからんけど」「ほな俺、雑誌もってくるわ」っていう、子どもの公園のネットワークですよね。

:清野さんって西のほうでしたっけ。

:僕、神戸です。

:全国的に、タイガーマスクはもう。

:すごかったです。すごかったですよ。いまでいう、五郎丸(歩。ラグビー選手)ですよ。子どもからお年寄りまで、みんな知ってるという。

:それはすごい。その昭和五十八年を経験して、清野さんはプロレスラーになろうとは思わなかったんですか。

:全然思わなかったんですね。プロレスをしゃべってる実況アナウンサーがとにかくかっこよくて。

:イチロー・フルタチ。

:はい!

:(笑)

:これをやりたいなあ、と思って。超かっこよく見えたんですよ。

:古舘さんの、どこらへんにひかれたんですか?

:言葉がとにかく、饒舌で、ひとことでいうと、煽り上手。ドラマチックにしゃべるんですよ。子どもながらに、よくわからないんですよ。たとえば猪木と(ハルク・)ホーガンが戦ってて、「猪木がヘラクレスの息子・アントニオであるならば」みたいな話をするんですよ。

:なるほどなるほど。

:突然ギリシャ神話の話になったりとかして、それが大げさなんだけど、なんかかっこいいなあ、と。それって、話芸ですよね。

:話芸ですね。

:たいしたことないことを、すごいものだ、って言う。これは話芸だと思うんですよ。

:1を100にする芸ですよね。当時、録画とかしてたんですか。

:ビデオなんて、当時は普及してなかったですから、我が家もないんですよ。クラスにもビデオがあるやつなんていないわけですよ。で、どうしたかっていうと、ラジカセをテレビの前に置いて、音を録音するんです。この試合を録っておきたい、と。

:そうなると、よりプロレスの実況に耳がいきますよね。

:いくんですよね。

:小学校四、五、六、とずっとプロレス熱は冷めず。他の趣味とかはなかったんですか?

:ないんですよ全然。

:(笑)プロレスおたくにありがちな、プロレスのみ好き。

:そうなんですよ。いちおう、世の中でファミコンが流行ったのも昭和五十八年なんですけど、ガンダムが流行したりとかもあったんですけど、そのへんも人並みに嗜むんですけど、本気で好きかって言われたら、そこまででもないかな、と。

:清野さんが本気でプロレスの会話をできる友だちって当時いたんですか?

:当時は大ブームだから、みんな好きだったんですよ。偏差値高いんですよ。これは世代的に、全然違うと思います。

:ああ、そうですか。

:むしろ、観てないやつのほうが少数派。

:小学校の間はブームでしょうけど、中学ってどうなんですか。

:これがバタっと減るんですよね。みんな卒業するんですよ。

:恥ずかしい、と。

:はい。マイノリティになるんですよね、中学生になると。

:世間的にはプロレスブームはどうだったんですか。

:だいぶ冷めかかってはいましたけど、まだゴールデンだったんですよ。月曜8時でしたね。金曜8時から月曜8時に移ったのが、僕が中一のとき。

:中学一、二、三と、やっぱりプロレスのみ好き、ってかんじですか。

:ますますそうなっていきましたね。ただ、そこで大きな分岐点があって、中学一年から二年生になる春休みで、古舘さんが実況を辞めるんですよ(注:1987年)。

:大事件じゃないですか!

:大事件でしたよ。そこは大きな喪失がありました。

:そのころ、全日本(プロレス。ジャイアント馬場が創設したプロレス団体)も放送してましたよね。

:してましたけど、馬場さんのゆったりした動きは子ども心に、ぴんとこなかったですねえ。

:バリバリの新日派なんですね。実況アナウンサーが代わって、大激震じゃないですか。

:プロレスがゴールデンタイムから外れたのがその一年後、1988年なんですけど、それけっこう大きいんですよ。それまでテレビで観ていたものが、観れなくなったので、じゃあ雑誌を買いましょう、って「週刊プロレス」が伸びたんですよ。

:「週刊プロレス」が一番売れてたころですよね。編集長はターザン(山本。1987~1996年、「週刊プロレス」の編集長を務めた)さん。

:そうですね。当時毎週木曜日に発売されて、隅から隅まで読むようになりました。

: どんどんマニアになっていくわけですね。

:中学校二年のときに、両国国技館に観に行ったんですよ。あ、きょうだ! 8月2日だ。

:へえー! 記念すべき。8.2(ハッテンニ。プロレス界では大きな試合の日付をこのように呼ぶ)

:8.2ですよ。

:神戸から、国技館に来たんですか? ひとりで?

:友だち3人と来ました。夏休みで。

:中二だと、大冒険ですね。

:大冒険ですよ。チケットを現金書留で買うんですよ。新日本プロレスに電話して。僕がその役だったんですけど。

:生で観て、どうだったんですか。

:両国の国技館を観たときに、すっごい気持ちになりましたね。うわー、テレビで観てたのあれだ! って。

:そのときの試合って、覚えてますか?

:覚えてますね。メインは猪木とバンバン・ビガロでした。すごい興奮しましたね。

:そこで、中学生ですから酒飲むわけにもいかないし、ただただ感動して帰るという。

:そうですね。内に秘めて(笑)。

:(笑)

:四、五泊したと思うんですよ。東京タワーも行ったし、観光もしたんですけど、正直他は全然楽しいとは思わなかった。プロレスの興奮度がすごくて。

:その3人のなかでも、プロレスに関しては清野さんトップなかんじですか。

:そうですね。学校では一番だったと思います。

:神戸にプロレスは来なかったんですか?

:なかなか来なかったんですね。小学校六年のときに来て、それが初プロレスだったんですけど。

:それはどこの団体。

:全日本だったんです。

:へえ、ぴんとこなかった全日本(笑)。

:そう、全日本だったんですけど、なんでもいいからとにかく行きたくて。それはひとりで行ったんですけど。

:どうだったんですか?

:興奮しましたねえ。

:(笑)結局。生で馬場を観たわけですよね。

:来てましたね。でも、そのときはもうメインどころじゃなくて、前座のほう、第三試合か第四試合くらいで。メインイベントは(ジャンボ)鶴田・天龍(源一郎)組対スタン・ハンセン、テッド・デビアス。セミファイナルが、ちょうど移籍してきたばっかりの長州力。

:そのへんの時代ですか。もうプロレス漬けですね。学校の成績とかどうだったんですか。

:めちゃめちゃ良くはなかったですね。

:でも、プロレスの知識が深まれば深まるほど、プライドが高くなる謎の現象ありませんか。

:ある...かもしれないですね(笑)。

:俺にはプロレスがあるから大丈夫、みたいな根拠のない自信が。それが結構支えになるんですよね、大人になっても。

:そうかもしれないですね。

:それで高校に入って。この中学から高校では、ものすごい変化あるんじゃないですか。

:そうですね。進学校だったんですけど、もっと観てるひとがいなくなるわけです。どんどんみんな卒業していくので。

:時代的にも。

:高校では、観てるひとを探すのが難しかったですね。

:でも、清野さんは観てた。

:観続けてましたね。なんで観てたんでしょうね。

:意地なんですか。

:意地もあったと思います。これだけお金と時間をかけてきたのに、ここで途中でやめるのはもったいないな、と。

:なるほど。

:コミックスをここまで集めたのに、途中でやめたくない、みたいな。

:学生時代から、しゃべりは達者だったんですか。

:達者ではないですけど、苦手なほうではないと思います。クラスで発表があって、あがっちゃって話ができない、というタイプではないです。

:むしろ先生が教科書何ページから何ページまで読んで、って言われたときに、「俺を当ててくんねーかな」って思ってるタイプ。

:そうですそうです。で、トチらない。すらすら読める。トチるひとをみると、なんでトチっちゃうんだろう? って。

:すっごいそれよく分かります。すごい不思議。なんでトチるの? 

:ねえ。

:そこらへんは、講談と実況と違いはありますけど、そこは同じなんですね。結構な確率で読めないんですよね。

:読めないやつのほうが多いんです。

:演劇部とかには入らなかったんですか。

:高校のときはブラスバンド部でしたね。

:進学校で、ブラスバンドやって、プロレスとの両立は大変じゃないですか。

:そうですね。ちょうどプロレスも深夜帯に移ったときで。

:深夜帯に移ると、もう、いよいよじゃないですか。抜けるタイミングではあるじゃないですか。深夜帯に移動したから、もう観ないわ、っていう。

:そうですね。でも抜けなかったですね。どうしてなんですかね?

:(笑)

:明らかに、小学校のときが一番ピーク。テンション高いですよ。

:「アンパンマン」観るようなものでしょうね。

:そうですね! ほんとそうですね。

:リアルアンパンマンを。

:中学で「アンパンマン」観てるのは、ちょっと、まあまあ、余熱ですよ。

:うーん(笑)。

:で、高校では相当がんばって「アンパンマン」観てる。

:清野さん、ずっと「アンパンマン」を観てるひとなんですね。

:そういうことですよ(笑)。「アンパンマン」を俺は、観続けてるんですよね。

:しかも「アンパンマン」のナレーションがいい、って言ってるひとですからね。

:あの声優が、って(笑)。

:タイガーマスクって、漫画から抜け出したような動きのすごさが圧倒的だったわけですもんね。

:そうですね。プロレス的にも革命だったと思うんです。日本のプロレスの歴史は、力道山に始まって、そのあとは馬場・猪木で、っていいますけど、人気でいうと、力道山の次はタイガーマスクなんですよ。馬場猪木は通過ですよ。

:なるほど。それくらいの衝撃だったんですね。小学校のときにそれを受けたらそうなっちゃうって分かりますよね。高校になったら、東京にプロレスを観にいくのも頻繁になったんですか。

:たとえば日曜日に試合を観て、夜行バスに乗って、月曜日の朝家に着いてそのまま高校に行く、みたいな。

:それもちょっと自分のなかでかっこいいというか。

:かっこいいんです。

:(笑)

:月曜日の8時半とかに学校に行くわけでしょ。周りは普通の暮らしをしてるのに、俺は実は昨日横浜アリーナに行って、今朝帰ってきたよ、っていう。特別な、誰もしていない経験をしてるんだ、っていう優越感があるわけですよ。

:プロレスおたくはねえ、優越感で生きてますよね。

:そうなんですよ。

:その優越感って、他のひとからみて、別にうらやましくないんですけど(笑)。

:ないですよ(笑)。高校一年のとき、「週刊プロレス」の誌上討論会に行ってましたからね、僕。当時(第二次)UWF(注:1988年に前田日明が創設)がすごくブームで、UWFを語り合う会を、東京の御茶ノ水の山の上ホテルでやってたんです。

:それは誰が出るんですか?

:ファンです。読者です。

:ファン同士が集まって? レスラーとか評論家とか来なくて? ファン同士がただ...

:集まって。編集長が、ターザン山本さんが、司会みたいなかんじで。その討論会の模様は文字起こしされて誌面にのるという。

:なるほど。行ってどうでした?

:大人のひとたちの、議論になかなか入っていけないというか。

:ああ、それも楽しいわけですね。自分よりも何歩も進んでるやつらの会話を聞いてるぞ、っていう優越感っていうか。誌上討論会まで来てる俺、っていう。

:はい。俺、学校じゃ一番だけど、ここ来たらまだダメだなあ、みたいな。

:上には上がいる。すごい。UWF(注:Uインターのこと。後述)と新日がやってたころですか?

:その前ですね。第二次UWFというのが大ブームになって。それは自分たちだけでやってて。前田日明、髙田延彦、藤原喜明、山崎一夫、そういうひとたちがやってて。なんで大ブームになったかというと、「我々がやっているのは真剣勝負だ!」って言ってたんですよ。それでもう、みんな、うわ! ってなって。で、それについて語り合う、と。

:それは真剣勝負かどうかということを語り合うってことですか? それとも真剣勝負なことは当然の理で。

:当然の理で、このまま突き進んでいったらどうなるか。

:あ、そういうことなんですか。

:はい。

:妄想というか、このままでいいのか、というのをみんなでしゃべる。どっちが強いか、とかじゃなくて、今後について。

:もっと概念的な話というか。

:真剣勝負、というのを清野さん信じてたんですか。

:...信じてたんですよ。

:(笑)それは高度な「アンパンマン」を観てたってことですね。

:そうですね。「この「アンパンマン」は違う」と。

:それは面白いですね。夢の世界ですよね、ある種。夢の世界に現実があるところで楽しさがファンタジーとしてあるという。

:暗示にかかってたんですね。

:それはどのへんでなくなったんですか? 高校まではあった?

:UWFには、ありました。関西のローカルニュースでもやったんですよ。「ついに、真剣勝負のプロレスが登場し、若者が熱狂しています」って。ロビーにいるファンがマイクを向けられて「いやあ、やっと胸を張ってプロレスファンだと言える時代が来ました」とか言って。

:えー、そんなことが起こっていたんですか。

:すごかったんですよ! 

:それでどのへんから分かってくるんですか?

後編「清野さん、実況を演芸に、その野望は?」につづく。