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長井好弘さんに、訊いてみた。Vol.1「長井さん、寄席演芸界にかかわるきっかけはなんでしたか?」

長井好弘(写真右)ながい よしひろ

1955年生まれ、東京都江東区出身。読売新聞記者。都民寄席実行委員、浅草芸能大賞専門審査員。落語、講談、浪曲はじめ諸演芸に関する著書、編著多数。

【Twitter】http://twitter.com/tasukevic

Vol.2「長井さん、リアルタイムで見た東京寄席演芸界の全盛期とは?」

Vol.3「長井さん、講談界、そして「神田松之丞」に期待していることは?」

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演芸評論って、何かと考える。

「落語ってこんなに面白いですよ、講談って凄いですよ、浪曲の一体感たるや、歌舞伎の楽しさ、狂言の滑稽さ、能の空間力」

そういう魅力を、芸人が及ばない所で伝えていく。

演芸評論とは私の中で、お客様と芸人の橋渡しをより円滑にする存在だ。

時に、それは権威的になりすぎたり、自己主張に終始し本来の役目を失いがちで。この人は何を考えているのかと思う時も多い。

長井さんはそういう中で、橋渡しを重視している代表的な人だと勝手に思っている。

これは、よみらくご内での私を紹介した文章だ。読んで頂きたい。


神田松之丞を褒める

2016/1/08
 「M.I.K」と、勝手に略称をでっち上げてみた。モスト・インプレッシヴ・コウダンシ。昨年最も印象的な高座を見せてくれた、伸び盛りの若手講談師である。

 いわゆる寄席初心者の若い人たちが、神田松之丞の高座を見て「これが講談か」と思ったのかどうかは、きわめて疑わしい。

 汗を飛び散らし、声を張り上げ、とぎれることないハイテンションで、善良なる観客から笑いをむしり取っていく。時には客席をにらみ、挑発し、すぐ後に照れて俯いたりもする。面白くて、心躍る。パンパンと響く張り扇と釈台がなければ、「ちょっと大げさな落語」だと信じる初心者が居てもおかしくない。実際、松之丞本人も今の口演に満足いかなかったのか、こんな風につぶやいたりもする。

 「ううむ、鯉八兄貴に笑いで負けた・・・」

 講談師なのに、落語家と張り合っている。しかも講談では必ずしも必須条件ではない「笑いの量」で落語家と勝負しているのである。

 前座、二ツ目と落語家に混じって寄席で修業したせいもあるのだろう。松之丞はどうやら「落語より講談の方が面白い」あるいは「面白くしよう」と思っているようだ。

 「安兵衛駆けつけ」「雷電初土俵」「山田真龍軒」に、「よみらくご」で演じてくれる「谷風の情相撲」。どれもドラマチックでスピーディーで笑いもあり、面白さでは落語に引けを取らない。たとえば「畦倉重四郎」など、師匠・神田松鯉直伝の大長編の連続物をきけば、凄みたっぷりの極悪人の「負の魅力」にぞくぞくとする。

 ここまでききこめば、松之丞のやっているのは「落語」ではなく「講談」なのだとわかるはずだ。

 講談を知らない人たちを釈場(講談の寄席)に呼び込むために、松之丞ほど魅力的な演者はいない。松之丞目当てで釈場に入り、寄席の奥の高座で松鯉や神田阿久鯉、所属協会は違うが人間国宝の一龍斎貞水など出会えたという人は、本当に幸せものである。

 ごくごく近い将来には、松之丞に呼び込まれて中に入ったら、奥の高座でも松之丞が頑張っていたということになるはずだ。

 あんまりほめると天狗になるかも、いやもうなっているのかもしれない。だが、世の中には少しぐらい天狗になった方がより能力を発揮できるヤツというものがいるのだ。

 松之丞よ、我らが「よみらくご」にも風穴を開けてくれ! まだ出来たてだから、ホールの壁や床には開けないでね。


芸人のキャラクターと立ち位置。そしてこの芸人がしようとしていることも、笑いにまぶして書いている。

これを読んでお客様が聴いてみたいと思ったら、成功だ。

あとは私がここで書かれている以上の事を、高座でするだけ。

それがお互いの役割だと思う。

出来なかったら、お客様を落胆させ、書いてくれた人にも恥をかかす。

書く書かれるは信頼関係だ。それがお客様との信頼関係に繋がっていく。

だから、演芸評論は各々の芸を支える存在でもある。

そんなプロの書き手の長井さんに、インタビューをしてきました。

松之丞(以下、松):僕、すっごい嬉しいのが、いちばん最初、サンキュータツオさんに出ていただいて、二回目(木村)万里さんに出ていただいて、三回目(桂)宮治兄さん出ていただいて。四回目で唯一、いままでのインタビュー連載を全部見ていただいてるひとに、ゲストに来ていただいたという。宮治兄さんとのインタビューが、長井さん的に面白かった、って言っていただけて。

長井好弘(以下、長):うん。宮治さんがほんとに松之丞のこと嫌いだったんだな、ってよく分かる。

:(笑)いや、前座時代ですよ。やっぱりあそこまで宮治兄さんの本音を出せた、っていうのは。なかなかこれ、公にしたのはないんじゃないですか。いつも、家族の写真とかしか載せてない兄さんが、本音を言ってくれたの嬉しいですね。

:僕ら取材する側からみれば、宮治さんは"優等生"だからね。ちゃんとした答えを出してくれるひと、こっちが望んでる答えも分かるひとだからね。そういう意味で、違うタイプの発言を引き出した、っていうのはたいしたもんだよ。

:あれですよね、単純に、仲間だから。いつも通りの発言したら、こいつはあれだろうな、って判断なんでしょうね。

:彼に聞いたら、「あれでも一応、マイルドにしてる」って言うかもしれないけどね。

:宮治兄さんに掲載前の原稿をチェックしてもらったら、ずっと引きこもりだった、みたいなところで、「お菓子を食べながらテレビ観てた」って描写があるんですよ。そしたら「お菓子を食べながら」っていうのを赤線で消してるんですよ。

:(笑)

:なんでそこ消してるんだ、って思って。それ面白いな、って。「引きこもり」はいいんだけど、「お菓子を食べながらテレビ観てた」っていうところの「お菓子食べながら」はダメっていう。それ、マジなんですよ。この兄さんの琴線っていうか、ちょっと面白いな、って。

:ゲラ(注:出版用語で、校正用の簡易な印刷物のこと)直しって、人柄が出るよね。

:出ますね。

:Aって答えたのに、Bって直すひといるんだよね。それじゃ取材した意味ないじゃん!

:立場もありますからね。インタビューする方ですから、とくにあると思うんですけど。ではあの、いろいろと伺おうと思いますけど。なんとお呼びしたらいいですか? 「長井先生」ですか?

:さん付けでいいよ(笑)。「先生」って呼ばれるの、いやなんだよ。

:「長井さん」でいいですか。僕が「長井さん」って言っても対外的に大丈夫ですか?

:それは君の関係だから知らないよ(笑)!

:(笑)いちおう許可を得た、ってことで。タイムリーなところから。今回、「笑点」の新しいメンバーが(林家)三平師匠になった、って、つい五分前に分かったんですけど(注:このインタビューは2016年5月29日に行われた)、長井先生の率直なご意見を伺いたい。読売ですしね、「笑点」が日テレ(日本テレビ)系列で。

:特に関係あるわけではないので。

:あ、そうですか。

:そうそうそう。特に関係あるわけではないので。別に、読売から、なんのノウハウも出してないので。

:なるほど。三平師匠、と聞いてどういう印象を。

:そういう方針なんだな、っていうのが分かりましたよね。要するに、"演芸"の窓口として使うんだな、と。もっと"広い"お客さんを相手にしてる。つまり、落語ファンとか演芸ファンとかじゃなくて、"テレビのバラエティファン"を相手にするんだな、と。

:なるほど。

:で、今回は絶対に若いメンバーを入れるはずだし、ここから先、十年二十年というスパンで考えて、ってなれば、それはたとえば、(春風亭)一之輔くんなんか入れたら、落語ファンは喜ぶけど、世間的には「なんだろな」って感じでしょ?

:まあ、そうですよね。

:だから、顔と名前の"通じる"ひとで、明るいキャラで、見た目若いひとで。若くないけどね、別に。

:四十五歳ですね(注:1970年生まれ)。

:バラエティ全体の入り口を引き受けますよ、っていうメッセージを受け取ったけどね。それはそれでいいんじゃない? あんまり、観てない番組のこと言えないけど。

:「笑点」観てないんですか!

:いや、学生時代は観てたけど。ふつう落語ファンって「笑点」観ないだろ。「笑点」から落語とか講談とか浪曲とかバラエティとか観るようになる、ってひとはいるけど、その逆はいないんじゃないかな。でも、「笑点」みたいな番組は、いっかい壊したらもう二度とできないので、もうそれはどんなかたちであれ、続けていただきたいよね。

:あー、なるほど。

:いまはちょうどいい時期だったわけね。世代交代だとか、いろんな要素がある時期だから。三平ちゃんを選んだことは、落語史だとかバラエティ史だとか考えれば、結構重要なターニングポイントじゃないかな。三平ちゃんがそんなこと意識しているとは思えないけどね(笑)。

:んー、なるほど。(春風亭)昇太師匠司会に関してはどう思ってます?

:適任じゃないですかね。昇太さんは司会のほうが活きるよね、おそらく。あと、みんなが昇太さんにつっこめるから。(三遊亭)圓楽さんにまともにつっこむと、なんかバトルみたいになっちゃうからさ。

:たしかに、そうですね。なるほどなぁ。じゃあ、今後の「笑点」も、「俺は観ないけど、いいラインだな」っていう感じですか。

:「俺は観ないけど」って言ってないからね(笑)!

:(笑)

:どうして喧嘩させよう、させようとするの(笑)! ほんと悪いやつだな(笑)。

:長井さんが読売新聞に入社なさったのは。

:(19)79年だね。読売新聞に入って、すぐ宇都宮支局に行かされたわけだよ。そのあいだは、基本的に部署を離れちゃいけない、休みもほとんどない、というような暮らし。わたしが正社員になったその年に、(六代目三遊亭)圓生が亡くなりました。

:じゃあもう、忙しいなか、圓生が死んでいったわけですね。

:すっごいショックで! ほら、よくいうじゃない、圓生死亡のニュース。「パンダ死す! ...圓生も」って、あれうちの新聞なんだよね。読売新聞の夕刊。

:へー、あれ読売なんですか。

:そう。あれを俺は支局で見て、どう思ったと思う?

:(笑)

:その日は夜回りをさぼって、俺は「唐茄子屋政談」を聴いたよ。カセットで持ってった。

:(笑)読売入ろうと思ったのは、なにかあったんですか?

:特にないよ。ただ新聞記者になりたかっただけだから。

:超エリートですよね、読売新聞に入るっていうのは。どんな試験やるんですか?

:一次試験で、膨大な数の常識問題を、わずかな時間で解かせる。ほとんどのひとが六割もできない、っていうね。それでふるいにかけて、最後は論文と面接。

:読売を選んだのは、なにか理由が。

:NHK、共同(通信)、朝日(新聞)、読売が、まったく同じ日だったのよ。

:入社試験が。

:そうそう。当時、仲間四人いて、四人ともマスコミ志望だったから、全員違うところ受けよう、って、じゃんけんで決めたんだよ。ひとりが「俺が朝日」って先に言ったから「じゃあ、俺、読売」って。

:(笑)政治志向とかないんですか。

:ないんですよ、時代的に。僕らは学生運動が終わった直後に入った、遅れてきた世代だから。

:新人類(注:1950年代後半から1960年代前半生まれ世代の総称)なんですね。

:はじめから、大学に脱力感みたいなものがあって。空気ってあるよね、時代のね。そういう、政治的なことを言うのが野暮、みたいなところが。

:ちょっとカッコ悪いみたいな

:っていう時代だったと思う。

:へー、面白い。それで読売に入って、配属とか決められるわけじゃないですか。

:「どこの支局に行きたい?」って人事部長に聞かれたので、「僕は東京生まれの東京育ちで、どこも知らないので、なるべく東京から遠くて、海のあるところに行かせてください」って言ったら宇都宮に行かされた。

:(笑)

:言わなきゃよかった。あとで聞いたら、みんな希望と反対のところに行かされたらしいよ。


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宇都宮支局時代の長井さん。


:その方針も面白いなー。宇都宮で、どういうことやるんですか?

:まずはサツ回り(注:新聞社用語で、警察担当のこと)。朝は県警本部に行って、管内の各庁全部に電話かけて、「なにかありましたか?」みたいな感じで様子うかがいを。あとは県警の捜査一課だとか、そういうところをぐるぐる回って、なにか動きや記者会見があったら取材する。新聞記者は誰でもやるんだよ、最初。地方に行って、まず警察を取材して、市役所で町ダネ(注:新聞社用語で、記事になるような話題のこと)を取材して、県庁へ行って地方行政と、それから選挙。僕はなかったけれども、あれば災害も取材をすると、ひと通りの取材経験がすむ、ということになる。

:宇都宮で何年ぐらいやったんですか、そういうのを。

:宇都宮支局管内に四年半いましたね。夏は高校野球の県予選の取材をさせられたよ。一日三試合とか、ひとりで戦評書いて、写真撮って、スコアブックをつけるの。「原稿出さないと弁当食わせない」とか言われて。

:それ、けっこう荒い前座修行みたいな感じなんですか?

:なんにも教えてくれないから、とにかく汗かいて走り回ってっていう。入社してから半年ぐらい休みもくれなかったし。

:はあ。

:それが普通だったんだけど、僕らより十年ぐらいあとのひとたちは、それで「辞めます」とか言うらしいんだよね。

:なるほど。それでも楽しかったんですか、仕事自体は。

:うーん。いまから思えば、あまりにも夢中でね。文章書くことは好きだったので、原稿書くこと自体はいいんだけど、取材は辛かったよ。だって、ひとが死んでるときに、「被害者の写真撮ってこい」って言われて行って、水まかれたりなんかして。「てめえ、来るな! バカ野郎‼︎」みたいな。なかには、本当にショックで辞めちゃうやついるんだよ。「こんな具体的な仕事だとは思わなかった」って。

:そうか、そういう事件も扱うから、死骸とかも見るでしょうし。

:四十何体いっときに火事現場で見たことあります。川治プリンスホテル火災(注:1980年11月20日に発生。死者四十五名。商業建築物火災としては戦後三番目の被害)っていうのがあって、東京からのお客さんたちが亡くなって。

:はあ。それはもう、衝撃というか。それ見てどう思いました?

:それはね、もう「モノ」ですよ。人間って「モノ」なんだな、って思いましたね。魂が抜けちゃえば。すごく虚無な感じがしましたよね。

:いやー、すごい、あれだな。そんな取材もして。で、宇都宮に四年半いて、そっからどう変わったんですか。

:東京に戻ってきて、二、三年内勤をさせられて、国際部に少しいて、文化部に入ってくわけです。

:そこで文化部なんですか。演芸担当っていうのは、そこから。

:僕は演芸担当になったことないよ、会社では。

:そうなんですか⁉︎

:最初は日曜版編集部だったんだけど、すぐに文化部に合併されちゃったんだよ。普通は文化部に入ったら、文化部の"サツ回り"=テレビ担当なんだけど、僕は日曜版から入ったから、やらなくて済んだ(笑)。

:ちょっと違うんですか。

:外様だよ、結局。それでいきなりやらされたのがファッションの連載。

:ファッション?

:「ファッションコラム書け」って言われて。「うっそー!」みたいな感じ。取材でイタリアとか行っちゃったもんね。

:(笑)

:だからメンズはダメだけど、レディースは多少詳しいよ。ドルチェ&ガッバーナが出はじめたころ。ヴィヴィアン・ウエストウッドとか。これはぶっ飛びすぎて、わけ分かんなかった。

:だから長井さんおしゃれなんだ。

:つまりね、文化部で僕はフリーというか、特集班な感じで、読みものだったら、なんでもやっていいっていう、基本的にロングインタビュー屋なんだよね。

:あー、そうなんですか。

:スポーツものも、けっこうやった。セリエA(注:イタリアのプロサッカーリーグ)の取材とかよくやって、アリゴ・サッキ(注:元イタリア代表監督)に「オフサイドって、なんですか?」って聞いて、図描いて教えてもらった。

:(笑)

:ルート・フリットとか(フランク・)ライカールトとか(マルコ・)ファンバステンとか(注:いずれもオランダ代表)あのへんだな。つまりACミラン(注:上記三選手が所属していたセリエAのチーム名。当時の監督がサッキ)の一番強いとき。

:面白いなあ。

:海外の取材もけっこう行かされた。離れ小島みたいなところとか、ゲリラ多発地帯とか、砂漠化進むスーダンとかさ、ほとんど観光地はないけれど。なんでもやるんですよ。そのなかで、ときどき落語家とか講釈師のひとの特集、企画もやってたわけ。ロングインタビューだから、聞く時間長いじゃない。さすがに覚えてもらえるよね。その当時から(柳家)権太楼師匠とか、顔知ってもらってる、ぐらいな感じ。僕はそれでいいと思ってた。いろんな取材をしたかったので。テレビゲームも、わたしは結構第一人者なんだよ、実は。

:あ、そういう時代もあったんですか、へー。


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砂漠化進むスーダンにて。長井さんは前列中央。後列右から三番目の女性は、「たしか、某首相経験者の家のお母さん」(長井さん談)


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テレビゲームの取材記者だったころ。長井さんは後列左から二番目。セガ、ソニー、ハドソンの社員と。


:「マルチメディア取材班」とかやってた。マルチメディア、っていう言葉自体が、もう時代でしょ?

:ファミコン時代ですか? もっと前?

:スーファミからプレイステーションⅠの時代かな(注:スーパーファミコンは1990年発売、プレイステーションは1994年発売)。

:あー、あのへんかあ。すごい。

:ソフトのレビューとか、かなり書いてた。自分でも、いろんなことやるのが面白くて、いろんなことを文章で書きたい、エンターテインメント一般なんでもいいや、って。エンターテインメントっていうのはつまりお笑いだけじゃないから、ゲームもあるし、サブカルもあるし、スポーツもあるし。テレビゲームから、普通のボードゲーム、伝統ゲームみたいなのやって、それこそ「奥野かるた店」を取り上げて。おもちゃショーとかゲームショーとかの取材をやらされるようになって。

:そこで「奥野かるた店」との出会いがあったわけですね(注:同店で開催されている「神保町かるた亭」に長井さんは司会で出演、松之丞も過去にゲスト出演している)。

:やってるうちに、どんどん好きになちゃうでしょ? 趣味がどんどん仕事化していく、っていう状態。

:そうですよね。取材も多岐にわたるし、めちゃくちゃ趣味が増えてくるし。

:まあ、それで2000年に爆発して、死ぬ思いをしちゃうんだけどね。あれもこれも溜め込んで。

:それって、長井さん聞いてもいいですか。どういうご病気だったんですか?

:急性心筋梗塞ですよね、病名とすれば。

:おいくつぐらいでした? 2000年っていうから...

:四十四歳。2000年の1月1日の未明。つまり、1999年大晦日の「ゆく年くる年」を観て、そのあとサザン(オールスターズ)のライブを観て、さあ寝よう、と思うと、ズッキン、ときて。

:寝よう、と思った時に。急にですか。

:そう、いきなり。なんの予感もなく。ズキンときて、もう苦しくて寝てられない。だめだこれ、って救急車呼んで、「どこが痛いんだか分からないんだけど、あちこち引っ張られたり、なんか気持ち悪いんですけど」って言ったら、「それは循環器ですよ」って言われて、えー、うっそー! って。で、たまたま隣町に、循環器の専門病院があった。ふつうは、元旦の明け方に都合のいい専門の当直医なんかいないんだよ。

:はあ

:それが、「2000年問題」(注:西暦の年号を下二桁で管理しているコンピュータが、2000年を1900年と認識して誤作動するとされた問題)っていうのがあって、全医療機器のチェックのために、医療スタッフ全員がいたんだよ。

:うわー! ラッキーでしたね。

:行った途端に処置してくれたんで。

:うわー! よかった。

:あとで女房に聞いたら、「いつでも親戚の方を呼べるようにしといてください」って言われたって。

:そのぐらいのことだったんですか

:すぐに手術ができないぐらい、心臓がダメージ受けてたんで、一ヶ月くらい寝たきり状態。血圧上がらなくなっちゃって。やっと集中治療室から出たときに、「長井さん、冠動脈の相当ヤバいところが詰まってます」と。

:へー。

:で、どうなんですか? って聞いたら、「死ぬことはないと思いますけど、そーっと生きてなきゃならない」って。

:(笑)漠然としてるなあ。

:大マジなんだよね。どうすればいいですか、って聞いたら、バイパス手術しかないんで、血管どっかから持ってきてやるしかないんですけど、って。ふつう脚から持ってきたりとかするんだけど、「遠くなればなるほど、拒否反応があるからヤバいんですよ」と。「ところが、長井さんね、この胸骨の裏に、いい血管があるんですよ」って(笑)。

:へー。

:「そこだったら、ちょっと動かすだけですから」って。ただ、「やってみないとわかりませんよ。けど、やらないと、そーっと生きなきゃいけませんから、まずいでしょ?」って言われて、「しょうがない。やります!」って、やったら、三割ぐらいしか動いてなかった心臓が、八割ぐらいまで動くようになった。

:はー。それはいまも、変わらず八割。

:だから、継続的な心肺能力を使うような運動はできない。「なにができないんですか?」って聞いたら、「遠泳とマラソンです」って。やらないわ! そんなもん。

:(笑)

:心臓っていうのは、三割動いてれば死ぬことはないんで、っ言ってたけどね。手術したらすぐ良くなったんで、一週間で出られた。一ヶ月半寝たきりで体力落ちてるんで、リハビリに一ヶ月半かかって、丸々三ヶ月会社休んで。そのときに、「長くないな、俺は」と。もうヤバいんじゃないの、と思ったんで、書き残したい、本を書きたい、と思ったわけですよ、そこで。自分がいままで、見たり聞いたりしたこと、感じたことを書き残したい、と。

:そこで、どういう本を。

:「新宿末広亭 春夏秋冬[定点観測]」(2000年12月/アスペクト刊)。もとは、テレビゲーム時代に取材してたハドソン(注:2012年コナミデジタルエンタテインメントと合併)の会長が、実は落語好きで、自分で趣味の「江戸ネット」っていうホームページを作ったときに、なにかコンテンツが欲しいから長井さん書いてくれ、って。じゃあ定点観測やるけど、これ途切れたら終わりだよ、シャレだからね、って始めたんですよ、義理で。

:(笑)どのぐらいされたんでしたっけ、定点観測は。

:丸一年。病気期間中は抜けてるけどね。抜けてる、っていうのは、つまり他の人がやってくれてる。代演がついてる、仲間が。

:いろんな趣味をやったわけじゃないですか、仕事で。最終的に残ったっていうのが落語だったんですか。

:テレビゲーム、っていうのもあったんだけど。テレビゲームの戦後史というか、全体史を書きたい、って思ってた。でも、もう体力的に無理、っていうのがあって。実際にゲームをやんなきゃなんないし。

:(笑)テレビゲームも、同じくらい自分のなかで価値はデカかったんですね。じゃあ、できるだけ心臓に負担かけずに今後も観られるという意味で、消去法で落語。

:できそうなものからやるしかない、っていうことで。新聞社だから、夜勤とか泊まりとかがあったんだけど、それを一年間免除で、土日も休んでいいよ、夜も早く帰っていいから、って言われてたの。で、しめた! と思って、夜と土日で書いてった。

:はー、そうか。本来それやっていいんですか、土日で。まあ自分の自由時間だからいいわけですよね。

:「勝手にやれば」みたいな。それで、もともと付き合いのある出版社のひとに、「俺、こんな思いしたんだけど、いろいろ残しておきたいな。書かせてくれ」って言ったら「いいよ」って言うんで、それで書かせてもらって、年末に出したのが、出て二週間ぐらい経ったら、いきなり平積み(注:書店で、購買者が手にとりやすよう、棚の前などのスペースに書籍を積むこと。書店が大量に入荷している=売れると見込んだ証拠)になったんだよ。少しは売れたんだね。

:へー。

:なんで売れたか、理由は分かってて。朝日(新聞)がでっかい書評で取り上げてくれたの。中野翠さん(注:コラムニスト)が、ご自分でも(古今亭)志ん朝の本とか書いてるときに僕のを見たから、愉快なマニアックな本だ、って言って紹介してくれた。うちの編集者が慌てて電話掛けてきて、「長井さん! 俺、編集生活長いけど、初めてだよ、東京堂(書店)が平積みにしてくれたの!」

:ふーん。それ、嬉しい第一発ですね。

:あの(柳家)さん喬さんだとか、権太楼さんだとかが、寄席でサインして売ってくれたっていうのがかなり大きかったんだけど。俺のサインなくて、さん喬権太楼のサインつきなんて本が、随分出回ってると思う(笑)。

:それを書いて出してみて、自分のなかで、どんな感触を得たんですか?

:あのね、寄席に僕の本は、少しは影響あったと思うんだ。寄席に客が来たんだよね。あとがきで書いてるんだけど、「この先、落語ブームなんてもう来ないよ」って。「けど、みんながんばろうね。僕たちは、好きなひとは、ちゃんと寄席を守っていこうね」っていうような書き方をしてるんだけれども。でもね、あの本をきっかけに、寄席に来た、とか、むかし家今松を知った、とかね。いろんなひとがいて、実際、僕のところにもいろんな仕事依頼が来た。というか、ありがたいことに、あれ以来、演芸関連の仕事が途絶えてないんだよね。

:そうか。じゃあ、いまの長井さんを作ったのは、最初の本の「定点観測」。

:そう。あれでまあ、多少そういうことに興味あるひとが、僕の名前を知ってくれた。あれが名刺になったんだよね。いまだに「定点観測の」って言われるし。自分が他の新聞社に取材されることまであって、「うわっ!」と思った。

:新聞社に勤めながら本出すってひとは結構いますけど、本名で出すひとって珍しいですよね。

:そんな、だって、僕は一冊限りだと思ってたから。会社員だし。こんなことになるんだったら、ペンネーム使っておくべきなんだけど、そんなことも考えてなかったんで。

:なるほど。

:社内で、「お前、朝日から人物照会が来たけど、なにやらかしたの?」って言われて。「ええー!?」って。

:(笑)

:そりゃ朝日だって、裏取る(注:マスコミ用語で、報道内容が正しいか確認すること)わね、当然。

:それ、いままでそういうことやったひとはいなかったわけですよね。

:少なくとも、"寄席"っていうくくりの本がほとんどなかった。"落語"とか"落語論"とか、芸談は山ほどあったんだけど。狙ったわけじゃなくて結果論なんですけど、わたしが寄席好きだから、寄席からはじめようと思っただけなんだけど。そういうことを、つまり、落語って結局主観だし、感想評論しかないのに、数値だとかデータだとかを出す、っていうのをやりはじめた。堀井憲一郎さん(注:コラムニスト)がああいうこと(注:「ホリイのずんずん調査」)やりはじめたときに、末廣亭で言われたもん。「長井さんと同じことやるひとが、もう一人いるわよ」って(笑。)

:(笑)なるほど。いや面白い。それでどんどん「長井好弘」っていう名前が広がっていきましたよね。

:フィールドワーク的なことをするひと、っていうイメージだったと思う、はじめのころは。もうひとつ、岩波書店で出した「落語の世界」っていう三巻本(注:2003年刊)のなかで、「落語二万八千席」って小論文を書いてるんですよ。それこそ定点観測なんですけど。四軒の寄席のネタ帳を一年分、全部まとめて、それを論文にしたの。その傾向と対策を。

:すごい。本にしたのは末廣ですけど(注:「新宿末広亭のネタ帳」(2008年/アスペクト刊)、もともとあるわけですね。

:それが原型です。それはかなり評判になったと思います。寄席でもフィールドワークができるんだ、ってなった。その仕事と、「定点観測」で、末廣亭さん、具体的に言えば、北村(幾夫。四代目席亭)さんが認めてくれたんで。

:あー、そうか。

:北村さんの偉いのは、「定点観測」を、まったく彼に知らせることなく、そーっと一年間やって、ゲラ全部持ってって、「これで本にしたいんだけど、末廣亭の名前使わせてください」って言ったんですよ。そのときに、ぱっと見て、一字の直しもなかった。

:はあ、すごい。

:読んではくれたんだけど。「言いたいことはあるけど、俺は言わない」って。「君はお金払って一年間通った"客"なんだから、"客"がなに言おうと勝手なことだし」って。

:いやー、いいなあ。

:「むしろ、君に一年間通われて、気がつかなかったこっちの方に落ち度がある」って。

:(笑)そらそうですね、たしかに。言われたらそうだ。

:「いや、でも、僕は金払った、って言っても、あやしい割引券とかも使ってますよ」「いや、それはまあ、しょうがない。みんな使ってんだから」って。まあ、二十数万かかったけど。入場料でね。

:(笑)

:考えてみれば、今日50人しか入ってない、とか、平気で人数まで書いてるわけで。トイレが汚い、だとかさ、平気でバンバン書いてる。見たこと全部書いちゃってる。つまり、その本は"客"としての目線で統一しよう、って本だったので、客として、見えることは全部書く。そのかわり、寄席の楽屋には行かない、っていう。

:なるほどなるほど。ある種、"客"代表ですよね。

:だから、北村さんが木戸(注:入場料を払う窓口)にいるときは、下向いて、こう、そーっと入って。

:落語界の内部にいたら、もうちょっと、あえて深くこう、なにかえぐろうみたいなひとっているじゃないですか。でも、長井さんの場合は、寄り添ってるっていうか、いい風に書いてるっていうか。

:「定点観測」出したときに某演芸関係者に言われたなあ、「長井さん、本気で書いてないでしょ。死ぬ気で書いてないでしょ」って。

:それ、余白残してるんですか、イメージのなかで。もっと書きたいこといっぱいあるんだろうけど、あえてこのぐらいにしてるっていうのが。

:さっき言ったように、縛ってたからね。「客席目線で見られること」って。だから、情報がないことについて四の五のしゃべれない。突っ込んでない、って言われればそうなんだけど、その話を京須(偕充。落語録音プロデューサー)さんにしたら、「落語の本って、死ぬ気で書くものですか?」って言われたよ。

:一年通ってみて、改めて、どういう思いっていうか。寄席っていうものに対して。本に書いてあるからそれ読め、ってことですけど。

:(笑)当時は、寄席が底を打つ直前ぐらいの時期でしたから、正直言って辛いときもありましたよね。がんばって観る、っていう感じだった。

:そうですよね。作業として、辛いですよね。

:やっぱり、明らかにやる気のない客席と、やる気のない演者という日もあるわけじゃない。

:(笑)

:そういうときに、「寄席って、なにかなあ」とか、いろんなこと考える空間になる。だから、余計なこと書いてるときって、辛いときなんだよね。芸のこと書いてないときなんかね。

:あー、なるほど。イヤでも哲学するでしょうね。苦行っていうか。

:だから、いろんなこと考えるよね、それは。「俺って、なんでこんなとこにいるんだろう? こんなことやることないよね?」とか。

:心臓に負荷かけてるじゃないですか。

:でも、寄席ファンだったら、絶対に一度はしてみたいと思うんじゃないでしょうか。全部の番組を観てみたい、って。

:夢ですよね、ある種。

:ふつう、そんな馬鹿なことやらないけれど。僕も、はじめてはみたけれど、防御線を張ってて。「これはシャレだから。途切れてたら終わり」って。

:それが成功して、当然二冊目も、ってなるじゃないですか。そこで出したのは。

:新聞社に勤めてるので、オリジナルで書き下ろしをする時間がないんですよ。当時は日曜版のデスク(注:新聞社の役職名)かなんかやってたから、どうしようかと思ったんだけど。そのときに、日曜版に急にミニコラムの空きが出たんだよね。なにか欲しい、でも、書き手がいない、と。他のデスクがなんとかしろよ、みたいな話になって、「なに書いてもいいよね?」「いいよ」で、「寄席おもしろ帖」というコラムをはじめた。これが大きかったよね。全国版なので。

:そうか。はあー。

:四国の田舎に取材で行ったときに、「読んでます」って言われたことあるし。イラスト代わりに(林家)正楽さんの紙切りを使ったのも大成功。「色紙を作ってカラー版で」とお願いしたんだけど、あんなに見事にやってくれるとは思わなかった。あ、このひと、紙切りが上手いんじゃなくて、絵が描けるひとんだって分かった。

:なるほど。

:それを二年間ぐらい、毎週一回続けて。いま「かわら版」の巻末で連載している「(今月の)お言葉」の原型ですよ。

:「寄席おもしろ帖」(2003年/うなぎ書房刊)は、「2」(「寄席おもしろ帖【第二集】おかわりッ」2004年/同社刊)までいきましたよね。

:「2」までいったね。当初、版元(注:出版社のこと)は、「こんなものが売れるのか?」みたいな扱いだったんだけど、意外に売れた。すぐ重版(注:初版の部数を売り切って、増刷になること)になったんだよ、これは。そしたら、いきなり「2を作りましょう!」って。「お言葉」(「僕らは寄席で「お言葉」を見つけた 寄席演芸家傑作語録」2015年/東京かわら版刊)も"重版出来"(注:同名の漫画およびテレビドラマにより一般に知られる出版用語で、重版になった書籍が書店等に納品されること)ですよ。

:重版出来した(笑)。へー、そうか。これ、コツコツ「かわら版」に書いてて。

:七~八年。「かわら版」が新書を出すにあたって、雑誌本体のコンテンツから出したいんだけど、みんな分量が足りなくて。俺のが一番長くて分量が足りてたという。

:(笑)いや、面白い。それでは、一番最初の、幼少期に落語をはじめて観たところから、わかりやすく順を追って伺いたい。

:年だから忘れました!

:いやいや、もうー(笑)。

:"第三者"に。

:"第三者"って、都知事じゃないんだから(笑)。


Vol.2「長井さん、リアルタイムで見た東京寄席演芸界の全盛期とは?」
Vol.3「長井さん、講談界、そして「神田松之丞」に期待していることは?」につづく。