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新宿末廣亭・北村幾夫会長に、訊いてみた。前編

北村幾夫(写真左)きたむら いくお

1948年生まれ、東京都出身。1999〜2011年、新宿末廣亭の席亭を務める。現・会長。

【新宿末廣亭ホームページ】http://www.suehirotei.com/

後編はこちら

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北村会長のインタビューを読んでいただく前に、ある程度の寄席に関する知識があったほうがいいかなと思って、簡単にまとめました。

これまでのやり方で、注を入れると冗長になるので。

インタビューのなかに出てくる名人とか演芸史の流れとか。
そのあたりは、これまでに出ていただいた4名の方のインタビューを読んでくだされば、だいたい分かると思います。

「初心者にわかりやすく、親切に」を、常にこころがけている私ですが。
「寄席の席亭」という、演芸界のある意味トップのひとの言葉を、何度も読んで、ググったりしながら、少しずつ分かっていく喜びのようなものを味わっていただければと。

演芸界のひとびとへのインタビューは、この五回でいったん区切りです。
今後は、異ジャンルの方のお話を伺いたい。m(_ _)m

●新宿末廣亭に関する基礎知識●

【新宿末廣亭の歴史】1897年「堀江亭」創業。1910年、浪曲師・末広亭清風が買い取り、「末廣亭」と改名。1921年の新宿大火、1945年の空襲で、二度焼失。1946年、北村銀太郎が再建し、現在に至る。一階椅子席、その左右に桟敷席、二階あわせて約300席。

【歴代席亭】「席亭」とは、「寄席の亭主」のこと。経営者。新宿末廣亭の初代席亭は、「大旦那」と呼ばれた北村銀太郎。1983年に銀太郎が亡くなり、銀太郎の長男・一男が二代目となるも、体調不良により、銀太郎の長女(一男の妹)・恭子が席亭を引き継ぐ。1999年に恭子が亡くなり、一男の息子・幾夫が席亭となる。2011年、恭子の息子・真山由光が席亭、幾夫は会長となった。

【喫茶楽屋】今回の取材が行われた場所。新宿末廣亭の楽屋口側の二階にある。銀太郎の三女・光子がはじめ、現在は光子の娘・慶子が継いでいる。

【寄席】「寄席」とは、演芸を上演する場のこと。明治時代の最盛期には、ひとつの町内に数軒もの寄席があったといわれている。現在、都内で、年末をのぞく毎日興行している寄席は上野の鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四軒のみ。いずれも、落語をメインとする寄席である。過去には、講談や浪曲、義太夫専門の寄席もあった。

【寄席の興行】一ヶ月を十日ごとに区切り、1〜10日を上席(かみせき)、11〜20日を(中席)、21〜30日を下席(しもせき)、31日を余一(よいち)と呼んでいる。上席・中席・下席は、それぞれ昼席、夜席の二公演。鈴本演芸場はすべて、池袋演芸場は下席のみ、昼夜入替制である。新宿末廣亭と浅草演芸ホールは、基本的に昼夜通し。余一には、独演会や二人会など、特別興行を行うことが多い。

【寄席の出演者】都内の落語家団体は、落語協会(通称、落協)、落語芸術協会(通称、芸協)、五代目円楽一門会(通称、円楽党)、落語立川流(通称、立川流)の四つあり、うち鈴本演芸場に定期的に出演できるのは落語協会のみ、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は落語協会と落語芸術協会のみ(余一などの特別興行をのぞく)。新宿末廣亭は、奇数月の上席は落語芸術協会、中席は落語協会、下席は落語芸術協会、という交互興行スタイルをとっている。

【新宿末廣亭の独自興行「深夜寄席」】毎週土曜日の夜席後(21:00〜23:30ごろ)に開催される二ツ目四人が出演する勉強会。入場料は五百円。末廣亭は無償で会場を提供し、運営は出演者で行っている。

【松之丞と寄席の関係】松之丞は、日本講談協会と落語芸術協会の両方に所属しているため、鈴本演芸場以外の寄席に出演できる。現在、寄席に出演できる講談師は、落語協会、落語芸術協会あわせて、前座含む17人。

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末廣亭に現存するなかで、もっとも古いネタ帳を見せていただきました。1968年3月下席夜の部、桂歌丸師匠の真打昇進披露興行です。

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牧野周一先生のトリ。1968年2月中席夜の部。


松之丞(以下、松):今回、いろいろとお伺いしたいんですけど。二時間ほど、貴重なお時間を。

北村会長(以下、北):あなたのホームページに載せるの?

:そうなんです。ホームページで、いろいろなひとにインタビューしていまして。今回第五回目なんですけど、前回はナガイ先生に。

:永井荷風?

:永井荷風じゃないほうの(笑)。よし...なんとかに。

:好弘(よしひろ)だか、なんだかに。

:よし...なんとかと、仲いいんですよね、会長。

:「末廣亭365日」という、一年七十二芝居を全部観て、書いた、なんていう本が、そもそもあるんだヨ(注:「新宿末広亭 春夏秋冬[定点観測]」(2000年12月/アスペクト刊)。

:読みました。

:まだうちがきれいになる前だったから、そういうのを書いてもいいですか? っていうときから、いろいろと。

:その話を長井先生から伺ったときに、すごいな、と思ったのが、いっさい直しをいれなかった、って。会長に渡したときに、「あ、いいよ」ってそのまま通した、っていうのが、人間性が出ててよかった、って言ってました。

:(微笑)

:今回、はじめて、うかつなことを言うと、僕がつぶされるひとに(笑)。

:(笑)あぶないところに。

:あぶないところに、ドキドキしながら。会長に、いろいろ伺いたいな、と思って。いちおう幼少期の最初の演芸体験というのを、とっかかりとして伺うんですけど。会長の場合は、大旦那のお孫さんだから、子どものころから観てた、って感じですか。

:そうだネ。結局、家内工業だから。親父が、ここで働いてるわけだ。おふくろも、忙しいときは手伝ったりしてたわけ。

:なるほど。

:そうすっと、俺の家は、こっから歩いて十分くらいかナ。「今日、学校の帰りは店にいらっしゃい」みたいな、ネ。家にだれもいないと。で、店に来て、お金をもらって、どっかでご飯を食べて、二階で宿題やったり、走り回ったりナ。

:仏間で、ですか?(注:楽屋側の二階にある)

:仏間じゃない。客席。

:あ、客席で。幼少期の、いちばん最初の落語家さんの記憶って、どこらへんなんですか?

:そうだねェ。先代の三笑亭可楽さんかなぁ。

:八代目可楽師匠。そうですか。へえー。

:とにかく、なに言ってっか分からない。

:(笑)それ、おいくつくらいのときですか?

:小学校二、三年じゃないの?

:先代の可楽師匠が初体験ですか。ほかのひとに伺うと、子どもは色物の先生の印象が強いというか、落語家は、なに言ってるか分からないから。

:あなたが「落語家で」って言うから。芸人では、シャンバローとか(柳家)三亀松先生とか、(吉慶堂)李彩さんとか。

:あー、たのしいな、って。

:そらたのしいヨ。観てて、分かるもん。

:三亀松先生とかも分かるんですか?

:三亀松先生は、最後、刀を振り回してたからネ。あのころ、剣舞が流行ってたんじゃないか? どこにでもあったよ。

:三亀松先生って、伝説的な存在ですけど、めくり返っただけで、ワッとなるような。艶笑都々逸で。

:まあまあ、そうだネ。

:子ども心に、たのしいおじいちゃんだな、ってかんじですか。

:みんなが笑ってるからネ。なんで笑ってるか分からないわけだけど、こっちはネ。「肩から次第に力が抜けて、女にされてく初夜の床」なんて、どーん、とウケるわけだけど、「なにがおかしいんだろ? 女は最初っから女だろう」みたいな。

:そういう記憶が。色物のシャンバローの先生とか、三亀松先生とかって、落語家は八代目可楽。

:聴きとれたね、色物の先生はね。牧野周一先生にしても。

:まず、聴きとれる(笑)。

:聴きとれないよ、噺家は。可楽さんも(八代目桂)文楽さんもネ。文楽さんも、「ときどき甲高い声を出す、変なおじいさん」だし。

:会長が先代の文楽師匠を観てたのは、おいくつくらいのときですか?

:意外と大きくなるまで観てたけど...。やっぱり小学生くらいだろうナ。中学になったら、もうこんなとこ来てなかったから。

:あ、そうですか。ほかに落語家さんとか芸人さんとか、どういうひとを。

:あんまり真剣に観てなかったからネ。

:(笑)そのころ席亭になるなんて、思ってないですもんね。

:なんにも考えてないサ。早く家帰って遊びたい、とか。「終わるまで待ってなさい」って言われて、つまんない。ヒマでヒマで。

:(笑)

:「なーんだよ、ここは。またおじいさんが出てきてしゃべりだしたー」とかナ。二階走り回ったり、桟敷の前行って、ボンボン(ブラザーズ)の真似したり。

:会長の小学校のころって、時代的に。

:えーっとね、昭和三十年に、なるかならないか。

:落語全盛。

:そろそろ、こう(右上がりに)、きたころじゃないか? けっこうお客さん、いたはいたネ。土日なんかはすごかった。

:伝説で、高座の横まできた、って。

:うーん、あれ、ほんとなのかなァ。そう言ってたけど、見た記憶はない。そんなときには、おそらくいなかっただろうナ、俺。正月とかお盆なんかはナ。なんであんなとこに、客座らせんだよなア。おっかしよナ。おかしいと思う。

:いまの末廣では。

:やらないやらない。外の通路で、首だけ出して観てたとかナ。それ、なんなんだよ。

:会長は、どこで観てるんですか?

:ヒマなときは、いちばん前に座ったり。忙しいと、後ろからとか、二階とか。いまは考えらんないけど、楽屋でも平気で入っていったからネ、俺。

:昔はそういう風景があったんですか。

:昔はおおらかだったし、いまはそういうことしないけどネ。楽屋に入ってって、「ぎゃー!」とか走り回るよ。そうすっと、「チッ! なんだこのガキは〜」「(小声で)席亭のお孫さんですヨ」「あ、(笑顔で)そう」

:(笑)

:(五代目柳家)小さん師匠だけは、「ダメだよ坊主、ここに来ちゃ。俺が遊んでやるヨ」って、外に連れ出して、肩車してくれて。

:へー。

:肩車してくれて、走ってくれて。で、耳ィ引っ張った方に曲がるわけ。

:(笑)先の小さん師匠に。そうですか。

:小さん師匠がトイレに入っててサ、俺が見つけてナ。あのころは、客席のトイレも芸人さん使ってたんだろ。で、俺が「丸顔! 出てこーい!」とかってサ。

:(笑)

:のちの人間国宝に。扉叩いて騒ぐわけヨ。お茶子さんがおふくろに、「幾ちゃんがトイレで大声だしてるんですけど...」「幾夫、なにしてるの?」「ここにいま、丸顔が入ってンだ!」

:(笑)なんかすごい絵が浮かぶ。

:「だれ?」中から小さん師匠が、「待ってろよ〜」

:それ、すごくいい思い出。

:出てきたら、「坊主、待ってたかー」って肩車してくれて。「頭、気をつけろヨ」。高くなるから。おふくろなんか、泣きべそかいて「幾夫! 降りなさい」「へへへ、いいですヨ〜」ってナ。

:そのころの楽屋と、いまの楽屋って、雰囲気かなり違うんですか?

:そうだねェ。子どものころは、もっと、なごやかってか、おだやかってか。洒落の世界、ってかんじの。いまの事務所から、広く楽屋になってたから。俺の子どものころの楽屋は、俺が分かんなかっただけかもしれんが、だれが来てなにしててもいい、みたいなかんじはあったかなア。

:そうですか。

:俺が大人になって入ったときに、(六代目三遊亭)圓生、(八代目林家)正蔵、(五代目古今亭)今輔、(六代目春風亭)柳橋、なんてところがトップだからネ。そのときの楽屋って、ほんとピリピリしてたヨ、うん。

:子どものころ、楽屋に出入りしてて、そのころ落語家になろう、とかって考えない。

:そんなこと、考えないよナ。

:中学生のころは。

:中学生になると、外の、自分たちの遊びのほうが面白くなっちゃったしサ。家にひとりで置いといても、ひとりで飯食おうが遊びに行こうが。小学校低学年、中学年くらいまでじゃない? 家にひとりで置いておけないから、こっち来なさい、なんて言われてたの。

:中学校に入って、遊びってなにやってたんですか?

:なに、って...。自転車に乗って市ヶ谷に釣りに行ったり、広場があったら、三角ベースとかゴロベースとか。土んとこに丸描いて相撲とか。

:銀太郎さんに関して、なにか思い出とかありますか?

:彼はここに住んでいて、離れてたから。学校に上がる前は、一緒に住んでたような時期もあるけども。可愛がってもらうとかは、ないねェ。小遣いは、よくくれたけどネ。

:印象として、おじいちゃん怖かった、とかは。

:怖い、っていうのはなかったナ。孫には怖くないだろう。

:なんか、うちはちょっと違う家なんだ、と実感したエピソードとか。芸人さんに囲まれて、みんな頭下げるわけじゃないですか。

:ちやほやされたエピソード、ないなァ。案外子どもってホラ、俺は根が利口モンだから、分かるのよ。こいつは違うナ、というのがネ。

:子ども心に(笑)。

:なにかを買ってくれたりとかネ、親がいる前ではサ。でも、楽屋に子どもがいたら、イヤなわけでしょ。自分だって、邪魔してるな、ってのは分かるわけだから。なんか美味いモンくれれば、どっかすっといっちゃうけどネ。

:確認なんですけど、会長の小学校時代は和気あいあいで、のちの圓生師匠がトップになったくらいがピリピリしてた、ってかんじなんですか。

:文楽、(五代目古今亭)志ん生くらいからかナ。

:芸協と落語協会の楽屋って、全然違うなってかんじですか。

:子どものころ? 分からないナ。

:どっちが落協で、どっちが芸協とか。

:それも分からないナ。ただ、寄席帰りに親父が「芸協の芝居はたのしいナ。色物が多いんだヨ。演芸場、って感じなんだ。明日から落協だけど、落協は地味だからなア。客も入んないヨ」っておふくろと話してた。

:それは昭和三十年代。

:三十年代後半じゃないか?

:そのころって、落協のほうが強かった時代ですよね。落語家さんは。

:そうねェ。芸協は、演芸が強かった。半分以上色物さんでネ。落語が少なかった。あのころは、お客さんをたのしませよう、っていうのがいまと全然違うのよ。地味なお客さんだな、と思ったら、噺家も、踊りを踊って引っ込んじゃうとか、みんな出てきてなぞかけやる、とか。昼の部なら昼の部で、お客さんをどうたのしませるか、みたいなネ。いまみたいに、何時に出て何時までやって、一席終わって、っていうのと、ちょっと違うナ。いまはもう、15分ぴったり持ち時間でしょう。あのころは、12、3分、うっかりしたら7、8分で降りるひともいるわけだよ。そうじゃないとこなせない。ずいぶん数減らしてンだヨ、うち。

:15分っていう尺は、いつごろ決まったんですか。

:自分が社長になって、顔付け(注:番組構成を決めること)はじめたくらいからだナ。

:そうですか。

:それまでは、もっと演者さん入れてた。一時間に六本くらい、当たり前。世の中がだんだんおさまってくると、「冗談いっちゃいけない」、「冗談いっちゃいけない」って噺が途切れると、なんかこう、落ち着かない、っていうお客さんの雰囲気が。

:なるほど。

:昔は、昭和三十年、四十年代っていうのは、世の中がまだネ、新しいようなときで。ちょっと観て、すぐ笑える、たのしめる、落語なんか落ち着いて聴いてらんない、みたいな世相はあったネ。それがだんだんおさまってきて、落ち着いてきて、ちゃんとした噺聴きたい、きっちり聴きたい。ホール落語がチョロチョロ出てきたりして。そうすると寄席でも、15分、17、8分あればちょっとした噺できるから、もう少し演者を少なくしよう、ってなってきたナ。

:大旦那が亡くなったのが、1983年で、僕が生まれた年なんですけど、そのあとは会長のお父さんが跡を継いで。

:うん、俺もここにいたし。

:大旦那が亡くなるって、衝撃でしたか。相当長命だったと思うんですけど。

:衝撃は、ないよ。俺はネ、上のひとが死んだら、どうしよう、こうしよう、ってことばっかり考えてたの。

:あ! 僕も実はそうです。(神田)松鯉が死んだら、のことばっかり考えてます。

:(笑)たのしいんだ、これがまた、ネ。

:たのしくはないですよ(笑)。

:早く死なないかな、とは言わないけれども。このひとが死んだら、こうしよう、あれができる。

:あぁ、そういうことですか。いろいろと制約もあったわけですね。

:そうそうそう。制約だらけ。

:会長は、ずっと末廣亭で働かれてるんですか?

:ずっと、でもないけどネ。大学出て、子どももすぐできちゃって、トラックの運転手やなんかやってた。

:ああ、そうなんですか。

:大旦那の後添えさんのおかみさんが亡くなって、俺がここに入ったの。それが昭和五十一年で、28(歳)かな。それから七、八年して大旦那亡くなってるでしょ。ちょうどいいとこじゃない?

:昭和五十一年の、大人になって社員として改めて働いたときの空気っていうのは、全然違ってた、厳しくなってた。

:楽屋の空気ってこと? そうだねェ。

:ピリッとしてた。

:ピリッ、にもういっこピリッ、ぐらい。

:(笑)

:二階から楽屋のぞいただけで、前座さんの座ってる姿見ただけで、「あ、圓生師匠が入ってるな」とか、「まだ来てないや」とか。

:会長が社員になったときは、圓生師匠がトップで。

:文楽、志ん生から譲って、圓生、正蔵、小さん、だネ。

:文楽、志ん生が亡くなって、名実ともに圓生師匠ですか。ピリッていうのは、どう違うんですか。私語がないとか、そういう。

:どういうって...。あなただって、どことなく分かるだろうヨ。

:まあ、なんとなくは。

:前座さんがどことなく、後ろ姿が違う、っていうナ。あのころはネ、圓生さんが昼の中入で、夜の中入ってこともあるわけよ。

:そんなことあるんですか。

:こっちから頼んだんだろうナ。おまえさん、両方やってくれヨ、って。

:それ、圓生師匠ずっと楽屋いるんですか?

:そう。たぶん、二階にだろうけどナ(注:通常、一階が落語家の楽屋)。

:これは辛いですね。

:前座がやたら表(注:正面側のこと)に出てきたがる。

:(笑)空気を吸いたいんでしょうね。

:向こうは柳橋、今輔だろ?

:それは圓生師匠とも、また空気感違うんですか?

:うーん、俺は寄席の人間だから。だれと会って話しても、ピリともしないけど。こっちが挨拶すれば、向こう側が「あ、若旦那!」って。「ご苦労さん。おまえさん、評判いいヨ」なんて言ってくれるわけだからサ。

:そのころ会長と仲よかったというか、そういう芸人はいたんですか? 世代的に一緒だったとか。

:(柳家)権太楼、(柳家)さん喬、(五街道)雲助、(柳亭)小燕枝、(春風亭)一朝、(鈴々舎)馬桜、(柳家)志ん橋、(柳家)小里ん、(六代目三遊亭)圓楽、(立川)ぜん馬、こっちでいうと(昔昔亭)桃太郎、(三遊亭)小遊三、(三笑亭)夢太朗、(三遊亭)右紋、(二代目柳亭)小痴楽(注:五代目痴楽)死んじゃったけど。沢山いるよ。

:会長が席亭になられた経緯をお伺いしたいんですけど。大旦那が亡くなって、会長のお父さんが継いだけど、聞いた話によると、体調がよくなくて、妹さんですか、(杉田)恭子さんになって。その経緯というか。

:親父がなったとき、恭子さんは"社長"っていう、登記上はネ。それで親父は、ちょっと体調悪かったから。恭子さんは、"おかみさん"というかたちで、ずっとここにいたからネ。それだけのことだよ。俺は経理みながら、顔付けとか、いろんな手伝いしてたからネ。

:会長が席亭になられたのが1999年から2011年っていう、ある種、落語界激動の十年くらいの時期にやられてるな、という印象が。

:そうねェ。どん底みたいなときだったなア。末廣亭の身売りの話もあったしネ。土地が高くて、このままじゃ相続税払えない。建物も老朽化してるし。そのまんま、だれかやってくれるひとがあれば、みたいな話が実際でてたしネ。

:なるほど。

:バブルの頃は、地上げの話もあったけどネ。建物なくなっちゃって、なんか別のになるんだったら意味ないから。一般企業が乗り出してきて、って世界でもないし。寄席なんて、好きな人間がやってるだけだから。じゃあ、まあ、なんとかできるとこまで、ってやってるうちに、少し上向いてきた。俺も、念願だったトイレと椅子直して、それからちょっとお客さんよくなったな、ってかんじ。

:2001年に、(古今亭)志ん朝師匠が亡くなったじゃないですか。その寄席の、精神的な打撃っていうのはあるのかな、って。

:うん。やっぱりネ、大きいひとが亡くなるたびに、核が消えてくかんじがするんだけれども。でも、がばっ、と大きいものがとれると、すぐ、ずずずっ、と埋まるもんで。いつまでもそういう傷を抱えてるもんじゃあないヨ。

:なるほど。

:そんなに落語界って、浅くないんだな、と思うよネ。日本人の心理として、圓生さんが寄席出てった、死んじゃった、志ん朝が亡くなった、小さんが亡くなった、てェと、じゃあ落語界どうなるんだろう、こういうときに観に行こうよ、みたいな気持ちがあるんじゃないかナ。だれかがいなくなって、寄席が下火になった、っていうことは、むしろ、あまり感じないネ。だれかがいなくなって、寄席を観にくるお客さんが逆に増える。寄席を応援しにいってやろう、みたいな気持ちが動くんじゃないかな。

:そういうポジティブな気持ちじゃないと寄席経営できないと思うんですけど。とはいえ、2001年に志ん朝師匠亡くなって、2003年に小さん師匠が亡くなって。子どものころ可愛がってもらった小さん師匠が亡くなった、というのは思いがあるんですか。

:そうねェ。ひとは必ず死んでいくからネ。俺は、ここに来たときから(十代目金原亭)馬生師匠がいちばん好きだったから、馬生師匠の死はショックだったけれど。まあ、ねえ...。そういうもんだな、って諦めるしかなくてネ。

:芸人さんの死に接する機会が圧倒的に多いので、そう思わざるを得ない、ってかんじなんですか。

:うん。また違うところから、だれかが出てくる、って思ってるネ。

:落語協会では志ん朝、小さん、ですとか、うちの協会だと(三笑亭)夢楽、(十代目桂)文治、(五代目春風亭)柳昇、と、会長が席亭をしていた十数年のあいだに、大物というか、トップ張ってたひとがどんどん亡くなっていく、というなかで、それでも、ポジティブに、ってかんじですか。

:個人的には、(五代目立川)談志さんや馬生さんや、古いひとのCDなんか聴いてネ、「昔の芸人はよかったネー」と思うのヨ。昔の芸人は、ほんとよかったヨ。「昔のひとのことを言うのは...」なんてェのもいるけど。昔の芸人のほうが、上手いし、よかった。でも、寄席に携わる人間としては、いま出てるひとが大事で、いま来るお客さんが大事だから。「あのひとがいればなぁ...」ってことはもう、考えないように考えないように、してるよ。

:なるほど。そうですよね。

:そう。

:講釈でいうと、大師匠(注:二代目神田山陽)が毎年怪談噺をやってたと思うんですけども、ああいう風物詩みたいなのは、昔はよくあったんですか?

:あったネ。おたくは、7中(7月中席)か8上(8月上席)だったと思うナ。8中(8月中席)は、むこうの会での怪談。(七代目一龍斎)貞山と、続けて二十日怪談だ、って記憶があるから。俺が入ったときはやってたヨ。真っ暗にしてネ、暗幕を張って。ほんとに真っ暗にしろ、って言われてネ。

:怪談は、興行的にも、入るんですか?

:うん、風物詩だったからネ。それを楽しみにしてる、ってひともいたし。いまは、若いひとのなかで、どうだろうナ。こっちが発信しなくなっちゃったのもあるけど。貞山、山陽いなくなっちゃったんで、あと是非、ってひとがいなかったかな。正蔵師匠もやってたんだよネ。貞山さんのあとは、正蔵師匠が。

:あ、貞山先生のあとにやったかんじですか。

:芝居噺としてネ。怪談の芝居は、寄席のスタッフ全員で支えないとネ、いけないから。

:たしかに。全員に迷惑かけちゃう。

:ある意味で。でも、楽しみは楽しみだったけどネ、あのころは。電気屋にこっそり言って、非常灯のスイッチを別につくって、落としたくらいだから。

:ああ、そうですか。

:非常灯、消えないんだよナ。

:(笑)消えないですね。

:別にブレーカーつけると、消防が怒るからネ。でも、周りが真っ暗になってて、非常灯だけあっても、おかしいし。

:会長が十数年席亭やったなかで、いろんな企画をやられてるじゃないですか。それは会長発案なんですか?

:そうねェ。楽屋に、「みなさん、面白い企画があったらどうぞ」と貼っておいたり、楽屋にいたりすると、こういうことをやりたい、とか出てくる。あとは他の席(注:寄席)のをつぶさにみてる。これ面白そう、と思ったら。

:鈴本(演芸場)とか池袋(演芸場)とか、他の顔付けみるんですか。当然みると思いますけど。

:俺はみてたけどね。

:どこらへんを中心にみるんですか?

:やっぱり、トリはつかない(かぶらない)ように、とか。みんな早めにトリをとらしたいんだろうけども、むこうでいうとさん喬さんとか一朝さんが、うっかりすると、2月から4月の間に、持ち回りで全部のトリとるようなことに。9月10月にとっておこうと思うと、たまに芸人さんから、「まだトリのお話いただいてないんですけど」なんて。気にしてるんだなあ、って。

:そうですよね。(むかし家)今松師匠のトリの芝居やったのって、会長ですか。

:暮れにね。前、暮れに雲助さんが、「芝浜」をトリでやらしてくれ、って。それ面白いなあ、と思って。俺は馬生一門好きだから、じゃあ、次は今松さんにと...。それが続いてるけどネ。

:へー。今松師匠、やっぱり先の馬生師匠と。

:いちばん似てるだろ。火鉢の前で煙草吸ってるとこなんか、そのままだヨ。

:談志師匠のエピソードっていうか、いろいろとあると思うんですけど。

:談志師匠はネ、寄席は大事にするひとだったネ。それとね、噺に入っちゃえば、投げないひとだった。入るまでが、ネ。

:(笑)入るまでが大変。

:うん。談志師匠には、礼を尽くせば。初日に挨拶に行って、楽(日)に「お疲れ様」言って、中日はともかく。トリのときは毎日顔出してもいいし。噺に入るまでに、あのひとはボソボソ言うから、ときどき後ろから「聞こえねーぞ!」とかネ。そういうときの対処だけ気をつけてれば。噺に入っちゃえば、まず噺は投げないし。

:協会を脱退してから、ふらっと末廣亭に顔を出したときに、どういう対応するっていうか。

:「どうぞどうぞ、上がってくださいよ」って楽屋に入れて。

:まず席亭のところにいらっしゃったんですか?

:いや、表ェフラフラしてるの。

:(笑)「笠碁」みたいに、声をかけられるの待ってる。

:ジョギングの途中、みたいな格好をして。「あ、どうも」「きょうはちょっと」「楽屋でお茶飲んでってくださいよ」「そうか。まずくないのか?」「大丈夫です」って。あのひともちゃんとねェ、計算してるんだヨ。金原亭とか三遊亭しかいないときに来る。「ひとこと、立ちでいいですから」「こんな格好でいいのか。高座返しやろうか?」「いいですねぇ」で、高座返しして、座って。座っちゃったから、談志の名札があれば出して。「いまそこ通りかかったらヨ、出ろ、って言われたから、タロなし(ノーギャラ)でやるンだ」とかいって。まあネ、さびしンだよね。

:会長は談志師匠お好きだったんですか?

:うん。うんうん。嫌う理由もないし。俺、そんなひどい目に遭わされたことないし。「おまえか? 孫旦那ってのは」みたいなかんじで。噺のツボがあるから、あのひとには。「師匠、あすこいいですねェ」なんて言うと、「お、分かるのか」みたいな。セコ(注:ウケないこと)なときは、すーっと帰っちゃうけれども。

:あー、なるほど。

:ウケたときは表来るから。

:(笑)褒められたいんですね。

:そう、褒められたい。で、なんか新しい工夫があったりするワ。そこを「こういう気持ちでやったんですね?」とか言うと、もう、大丈夫。

:仲がよかったというか。

:うん。

:そうですよね。

:談志師匠とはねェ、独演会を二回くらいやってるヨ。

:それは談志師匠から持ち寄って。

:いや、こっちから頼んで。「好きにやってください」「ほんとか!?」「そんかわり、(ギャラ)こんだけですよ」。あのひとは、寄席のアガリ(売上)が、いくら入ったらこんだけで、少なかったらこんだけで、っていうのを嫌がるんだよ。ヤクザじゃないけど、誠意をみせろ、と。最初から、「こんだけでお願いします」「そんだけ出すんだナ?」「出します」。そのなかで、いろんなひと呼んできて、にぎやかにしてくれる。で、最後に、「お約束通りの、こんだけです。で、税金はとらしてもらいましたよ」「税金とんのか」「わたしがとるんじゃありません」。ほかに、税金分くらいを、「お車代です」。で、もう、機嫌いいよ。よく聞くじゃん。どっか(ホール公演に)行ったら、(落語)やんなかった、とかナ。帰っちゃったとかサ。前の晩に、お願いの連絡をして、当日だれか、顔を知ってるひとをだヨ、迎えに行かせて。わざと帽子とサングラスで来るから、その変装を見分けられるひと、ネ。そこでうろうろタクシーを探すんじゃなくて、車を待たしといて、乗せて、お弟子さんもどうぞ、っつって、座らせた途端におしぼりの一本くらい渡して、楽屋に入れて、「師匠、終わったあとでビール用意しておりますけれども、いまなにがよろしいですか?」っつって、のど飴とお茶かなんか用紙しとけば、もう、ご機嫌だヨ。当たり前だろ、そんくらいのこと。

:まあ、そうですね。

:「何々会館です、来てください」じゃあ、サ。二ツ目やペーペーの真打じゃないんだから。終わったあと、「打ち上げの席がありますけど、お時間があったら」っつって、いちばん奥に座らせて、飲ませて食わせて、「きょうお帰りになりますか、それとも泊まりますか」「いや、帰るヨ」って帰って、その帰りの電車のなかで、あのひとハガキ書くよ。

:ああ、すぐ書くらしいですね。

:すぐ書く。東京駅の消印で、翌日にはお礼のハガキ届くもん。それ届いてからでいいから、「ありがとうございました。またよろしくどうぞ」ってしてりゃあ、最上にランクされるから。

:なるほど。会長ひところがしっていうか、相手のことを見抜くっていうのは、子どものころから。

:それは、当たり前だろ。

:でも、このひとはこういうひとだから、こうしようってのは分かりますよね。子どものころから、その世界にいたら。

:根が利口モンだから。

:(笑)

:なかには、ほっといてほしいひともいるわけヨ。でも、芸人だから。分かってあげないとネ。談志さんは、こうやったら分かんねーな、って来るんだから、それをぼーっと見過ごすやつを迎えに行かせちゃダメだネ。

:いま寄席の流れとして、お客さんが増えてますか?

:微増だネ。

後編につづく。