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桂宮治兄さんに、訊いてみた。Vol.1「兄さん、なぜ落語家になったのですか?」

桂宮治(写真右)かつら みやじ

1976年生まれ、東京都品川区出身。本名、宮利之(みや としゆき)2008年、桂伸治に入門。2012年、二ツ目昇進。同年、NHK新人演芸大賞落語部門大賞受賞。ほかにも、にっかん飛切落語会最優秀賞(二年連続)、国立演芸場花形演芸大賞銀賞など、多数受賞。

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【Twitter】http://twitter.com/miyajikatura

Vol.2「兄さん、前座時代の「神田松之丞」はどんな後輩でしたか?」

Vol.3「兄さん、二ツ目の最高峰から見てる景色は?」

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宮治兄さんという存在は、ことのほか大きい。

今の落語ブーム。いや、厳密に言えば。

二ツ目ブームというのがあるとしたら、その先陣をきったのは間違いなく宮治兄さんだ。

この人がいなければ、成金という存在も、芸協の若手という括りも、二ツ目そのものの括りも、もっと小さいものだったと思う。

二ツ目になってすぐに、NHKの大賞を取り、その後も数々の賞を総なめにした。

でもそんなものでは計り知れないほど、兄さんのスケールは大きい。

圧倒的実力と動員力。年4回の国立演芸場を満員にし、3年にしてもうなすことをなした。

二ツ目という概念そのものを変革させたとも思う。

私はずっと悪いなという気持ちを持っていた。

どういうわけか香盤で、直上が兄さんだった。

どんどん出世していく背中をみながら、何か自分が恥ずかしい。兄さんに悪いなと。

自分の無力感というか、この人がこんなに頑張ってやっているのに、孤独な状況にさせていて悪いなと勝手に感じていた。

いつか追いつくからね。それまで待っててと勝手に思っていた。

今、自分が兄さんに追いつけたとも思っていない。だけど、少し気持ちが分かるくらいの存在になれたかなという自負がある。認めてもらったかなと。

だから今のタイミングで、色々と聴いてみたいと思うようになった。

あと、兄さんは真打までの年季でいえば6年ある。

この6年を彼はどう過ごすのだろう。稀代の落語家に話を聴きたい。


松之丞(以下、松):兄さん、子どものころ、どんな子だったんですか?

宮治(以下、宮):中学一年まで登校拒否児だったの。保育園から。

:保育園から!?

:保育園行きたくなくて。泣きながら引きずられてったの、親に。保育園行きたくない、小学校行きたくない、中学校行きたくない。で、児童相談所連れていかれたの。小学校四〜五年生のときに。

:うんうん。

:カウンセリング受けさせられたの、親に。登校拒否児すぎて。

:結論はなんだったんですか?

:そのとき、自分で理解してるから。ゲームとかさせられて、カウンセリングしているときに、「あ、そういうので連れて来られてるんだ」って。だから"普通に"受け答えしたの。そのあと、親とカウンセラーの会話が聞こえてきて、「普通ですね」って言われてた。

:(笑)

:そらそうだよね。俺、分かってるもん。ただ単に、行きたくないだけだもん。

:なんで行きたくないんですか?

:家にいた方がラクだから。

:なにその発想(笑)。

:ラクじゃん、家にいたら。親にも甘えられるし。でも、泣きながら保育園に引きずられて行って、10分くらい「ふえーん」って泣いてるんだけど、それが終わったら一番はしゃいでるのが俺なの。小学校のときもそう。

:えー、小学校で嫌な体験があって、そうなるのは分かりますけど...

:違う違う。別にいじめられたとかもないし。どっちかっていうと、キャッキャしてる方。

:友だちはいたんですか?

:いたよ、キャッキャしてるもん。

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:(笑)いまの兄さんみたいな明るくて盛り上げ上手のキャラが出来たのはいつなんですか?

:それは保育園のころから! 

:えー? そんなキャラのひとが登校拒否ってめずらしいですよね。

:だから、ただのワガママなんだよ。

:なんの教科が得意とかありましたか?

:理科かなあ? あと家庭科。裁縫とか料理とか得意だった。

:(笑)器用なんだな、兄さん。生きる器用さがあるよね。

:親指のところ穴があいたソックスとか、自分で縫ってたもん。楽しいから。

:それで登校拒否もやってた(笑)。

:やってた。

:学校行かないで、家でなにやってるんですか?

:テレビ観てる。昼は教育テレビ観てたね。二時くらいになると、「あー、今日学校行かなかったなあ」ってちょっと思うんだけど、朝になったらまた行きたくない。五月病と同じなんだよ。ゴールデンウィーク終わって学校行きたくない、夏休み終わって学校行きたくない、みたいな。夏休みも、友だちが呼びに来るじゃん? 俺、「いない、って言って」って、ずっと家にいたの。三十日間のうち二十九日家にいた。母親が「ねえ、外に遊びにいかないの?」って聞いても「家がいい」って。いまもそういう性格なの。ひとと会うよりは、家にいたい。気を遣うじゃん、ひとといると。

:兄さん、オンオフを完全に切り替えるタイプ?

:完全に切り替える。

:子どものころから?

:子どものころから。

:オンになりたくないから行きたくないの?

:たぶん。そうなのかな。疲れるじゃん、キャッキャしなきゃいけないから。

:ご家族は仕事なにやってたんですか?

:父親は、じいさんがはじめた肉屋を継いで、駅前に小さなビルを建てて、ステーキハウスとかはじめたのね。母親は、夜はスナックやったりとか。とにかく忙しかった。親と接する機会があまりなかったというか。火曜日が肉屋の定休日なんだけど、火曜日は一番学校行きたくなかった。親と一緒にいたかったんだと思う。基本的に父親と母親と三人で、とか、家族全員でどっか行ったとか、そういう思い出はあまりない。そういう状況だったから、将来の夢は"家族で仲良くすること"だったの。

:そういう家庭環境的なことなの? 

:分かんない。俺、ねーちゃん三人いるんだけど、俺とねーちゃん三人とは、父親が違うのね。ずっと知らなかったんだけど、中一で親が離婚するときに、俺はねーちゃんたちと一緒の部屋にいて、向こうはもう大人だから。「なんか離婚するみたい」って話になって。「そういえば、としくん(注:宮治の本名は宮利之)とあたしたち、父親違うんだー」「えー!? マジ!?」って。

:(笑)

:「え、そうだよ? 知らなかったの?」「知らないよ!」って。アイス食いながら。

:そんなふわっと言われたんですか(笑)。

:そうそう。別にショックじゃなかった。一番上にすごく可愛いがられてたから。九つ違って。その下が、六つ違って双子なの。あ、だから離れてるんだ年齢、って。

:おねえさんに可愛がられてたんですか。

:一番上が、母親みたいなもの。ねーちゃんが高校生のときに、彼氏と映画観に行く、とか遊園地行く、ってときには、小学校低学年くらいの俺も連れていってくれたの。

:へー。

:キャッキャしてたよ。一番上のねーちゃんと歴代付き合ってたひとは、"おにいちゃん"みたいなかんじで、俺も付き合ってたの。その当時流行ってた、ホワイトタイガーが消えるマジック観に行ったり。

:ホワイトタイガーってなんですか? そこ膨らましてもしょうがないけど。

:双子のマジシャンで、ハリウッドから来たとかなんとか。いまでいう「トーテム」とか「シルク・ド・ソレイユ」みたいなやつだよ。なんとかかんとかアンドロイ(注:ジークフリート&ロイ。ラスベガスを拠点に活躍した双子のマジシャン。2003年、本番中にロイ氏がホワイトタイガーに噛まれる事故が起き、しばらく活動を停止していた)。あと、ローラースケートで、頭にトーマスみたいなのつけて、世界中の汽車になったひとたちが、滑りながら芝居やったりする(注:「スターライトエクスプレス」)。そういうのをいっぱい観に行ってる。

:じゃあ、はじめてライブみたいなのに行ったのは、そういう。楽しいなあって。

:で、中一で親が離婚して。本当は学区が変わって違う中学校に行かなきゃいけなかったんだけど、登校拒否児だったから、ここで学校変わるのはよくない、って教育委員会に親が言ってくれて、それまでと同じ学校に通えるようになったの。そこから中二、中三は皆勤賞。親に迷惑かけちゃいけないって。

:そこで大人にさせられたんですね。

:ワガママ言ってる場合じゃないな、って。

:うわー。

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中学校の卒業式。


:で、中三のときに生徒会長。「夏よ、どんと来い集会」っていう、訳の分からない集会を作って。生徒会長ってなんでもできるじゃん? 全校生を体育館に集めて、いろんな出し物をやらせたりした。俺は芝居を書いて、演出したの。中学を卒業するころには、舞台俳優になりたいと思ってた。吉幾三さんの芝居に出てた俳優さんと、親が知り合いだったのね。「この子舞台やりたいんですけど」って、新宿コマ(劇場。2008年閉館)の楽屋に連れてってくれて。そしたらそのひとが、「高校は行きなさい。それからでも遅くないから」。で、高校に行こう、と。それから吉幾三さんの座長公演によく通うようになって、そのときニワトリの格好して客席に出てたのが(新山)ひでや先生(注:落語芸術協会所属の漫才師)。ひでや・やすこの前(注:新山えつや・ひでや。1993年にえつやが倒れて以降は妻のやすことコンビを組んでいる)。

:(笑)

:まさか芸協の楽屋で会うとは思わなかった(笑)。それで男子高校に入ったんだけど、そこに演劇部はなかったの。昔はあったらしい、って聞いて、クラスのおとなしそうな子たちを誘って、演劇部つくろうぜ! って元演劇部の顧問だった怖い先生のところに三人で「作らせてください!」ってお願いしに行ったら、「三人しかいないから、なにもできないな」って。で、「いっかい、この落語のテープを聴いてこい」って十巻くらいのを渡された。「わかりました!」って受け取って、ぽいっ、と。

:(笑)川に?

:川に捨てるかよ! 「お前らもってけよ。で、適当に返せ」って、一緒にいたやつらに押しつけた。その時点で、めんどくさいから、もういいや、って俺はやめた。

:そこで聴いてみよう、っていう発想はなかったの?

:ない。聴かない。だって、芝居じゃねーし。なんだこれ? って。

:兄さんそこは自我がすごいというか、吸収しないんだよねー。

:しない。興味ないし。

:でも、その先生に「どうだった?」って感想聴かれるでしょ?

:なにが? だから俺その先生に会わないようにした、そのあと。

:その努力はするんだなあ(笑)。

:それでアルバイトしよう、と思って、一年の終わりに目黒の香港園っていう中国料理屋でアルバイトをはじめたら、バイトが楽しすぎてハマっちゃって。高校一年のとき皆勤賞なのよ。で、二年三年はほとんど学校に行かないで、バイトばっかり行ってた。バイトして、先輩たちと遊んで、店の個室で寝て、学校行かないで、そこからまたバイトするとか。

:そこで大人の世界を知ったんだ。

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:先輩たちも、二十代前半だったと思うけど、コルベットとかアメ車乗ってて。店十一時に終わってから新宿に行ったり、草野球チームをつくって試合したり。朝六時に野球のユニフォームと制服もって家を出て。「どこ行くの?」って親に聞かれるから、「草野球」「あっそう」って。

:親も止めないんだ。

:なんか楽しそうだから、いいんじゃない? って。試合して、昼の十一時くらいに制服来て学校に行ったら、先生も「もういいや」って。そのバイト代で加藤健一事務所の芝居に行ってたの、本多劇場に。高校卒業したら芝居やりたい、ってずっと思ってたから。一番最初に観たのが「パパ、I LOVE YOU!」っていう、レイ・クーニーの作品かな、加藤さんと角野卓造さんと、のちに入る(スタジオ)ミューズっていうところの先輩の平田敦子さんとかが出てて。ドタバタコメディで、少しほろっとさせるような。それで加藤健一さんにハマちゃって。

:それはひとりで行くの? バイト先の先輩たちと行かないんですか?

:行かないよ、だって興味ないじゃんそのひとたち。ひとり、ひとり。本多とか、ぜんぶ行ってた。

:そこは興味断絶してるんですか。

:そのひとたちとやるのは、ナンパしたり、草野球したり、遊んだり。

:それはそれと関係なく、芝居行くんですね。

:それは関係なく、バイト休みとって、芝居観に行く。

:じゃあ、芝居仲間と話したり。

:芝居仲間なんていないもん。ひとりで行って、「すげー楽しい!」って思ってるの。

:いろいろ観に行って、家に帰って日記に書いたりとかするんですか?

:しないよ。なにそれ? そういうの大嫌い。意味がわからない。

:えっ、なに怒ってるんですか。

:おまえと違うんだよ。なにか調べたりとか、知識を得たりとか、なんのためになるの? て思う。 

:なんで怒ったのよ急に(笑)。

:やだやだ。「ちゃんとやってたんですか? やってないでしょ、おまえは」みたいなの。やってねーよ(笑)!

:いやいや、タイプをみたかったんですよ。兄さんはそれで本多劇場に思い入れがある。

:東京で舞台やってるひとにとって、本多劇場って特別なんだよ。紀伊国屋(ホール)とか(紀伊国屋)サザンシアターもあるけど、下北(沢)で本多と(下北沢ザ・)スズナリと、いまはなくなっちゃったけどシアタートップス(注:2009年閉館)って、借りたくても貸してくれない。審査が厳しい。売れてたり、実績残してないと貸してくれない。だから有名なひとしか出ないし、勢いがあるところにしか貸してくれないから。あそこで打てるっていうのは、本多に立てるっていうのは、特別なことだよね。で、とにかく加藤健一事務所の養成所に入りたかったんだけど、オーディションの前日か前々日に、バイクで事故って入院しちゃったのよ。

:えー! バイク事故で。

:それでオーディション受けられなかったんだけど、その養成所で講師をやっていた星充さんのスタジオミューズはまだ募集していたから、そこに入ったの。星さんって、最近亡くなったんだけど(注:2013年没)、加藤健一事務所の演出もやっていて、(劇団)青年座出身でっていうひとで、そのひとに週三回くらいかな、師事したの、三年間。

:芝居の世界に入ってみてどうでしたか?

:なんか、「俺のやりたくないことばっかりやるなあ」って。マイムと基礎トレーニングと。腹筋百とか背筋百とか腕立て五十とか。「あ、こんなことやるんだ」って。

:舞台とか出ました?

:星さんが芝居打つときは、出してもらってた。(新宿)シアターモリエールが初舞台。「すてきな日曜日」っていう、星さんが書いた芝居で。高校とか中学の友だち、バイトの先輩とか、みんな観にきてくれて、俺ずっと顔が震えてました。それだけ覚えてる。で、三年で養成所を出て、芝居の世界に知り合いも増えてるから、声かけられて、いろんな劇団の芝居に出たりしてた。

:兄さん評判よかったんですか?

:いや。俺ね、ド下手くそだったし、なんの評価もなかったと思う。俺、ダメなひとだったと思う。

:え! 兄さんダメなひとだったの? 意外。

:うん。でも楽しいからずっと続けてた。俺ね、いろんなところであんまり芝居の話しないのは、真面目に芝居を志してるひとに失礼だな、って思うから。香港園のバイトも続けてたし、これで一生食ってくんだ、とか、将来のこととか、考えてないよ。声がかかったら、「やったー出られる!」って、一ヶ月間稽古して、一週間くらい芝居やって、「楽しかった!」って、次の日からバイト。なにも考えてないフリーター。

:それで転機というのがあって、化粧品会社に就職した。

:いまでも落語会に来てくださっている、役者の先輩に勧められたの。いろんなバイトしてるみたいだけど、もっと直結できるバイトあるよ、って紹介してもらったのが東京グレイス研究所。

:それが何歳くらい?

:二十三、四かな。三十で辞めるまで、六〜七年いた。そこに入って一〜二年で、芝居はもういいかな、って。

:そこでどんな仕事するんですか?

:買い物客を集めて、サンプルをあげながら商品を買わせるの。その日によって商品は違うんだけど、化粧品メーカーさんが売りたい商品を、「騙されないぞ」って思ってるひとたちに、十五分くらいで「このお兄さんを信じたらいいことがある」と思いこませて、その場の勢いで、言い方は悪いけど、洗脳して、買いたくなかった商品を買わせるの。

:それ密室とかに集めるんですか?

:ううん。イトーヨーカドーとかイオンとかの、普通の売り場。買い物カゴもって、洋服を買いにきたようなひとたちを、いくらでも逃げられる状況で、バっと集めて。

:へー。それどうやって入るんですか? 入り方は。

:「大成金」のときにやったまんま。前半は。

:あー、俺聴いてなかった。受付にいて。

:「すいませーん」ってやるんだよ。(セールストーク再現)

:なるほど。

:僕の言うことを聞いていると、どんどん得する、っていう状況をつくって。すごい商品だって思い込ませて。

:それできるのは天性のものというか。

:商品の資料を集めて研究して、どう言えばみんな欲しくなるのか、笑わせて笑わせて、信用させて、列に並ばせて買わせるか。

:最高どのくらい売り上げたんですか?

:店によって違うけど。やっぱりやるひとの上手い・下手があって。いろんなひとがやりつくして、数万円しか売れない、お客さんも「ああ、あれでしょ? サンプルだけもらおう」って店で、数十万売り上げたり。「あれ? いつもと違う」と思わせたら勝ち。

:それは落語に活きてる。

:落語に活きてるのは、そのときの経験。あと、芝居やってたときにマイムをやっていたから。そこにないものを、あるように感じてできる。想像できるから、マイムやってたひとは。"いるテイ"で喋ることは得意。それは伝わるじゃん。

:なるほど。

:口先で喋るだけじゃなくて、そこにいるように会話できるのはマイムやってたおかげ。で、客を離さないっていうのは店頭販売やってたおかげ。

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化粧品業界で「宮さん」を知らないひとはいない、と言われていたころの兄さん。「写ってるのは地元の友だちだよ」(宮治)


:その店頭販売で、全国トップレベルにいったんですよね? それやりながら、どういう心境になっていくんですか?

:化粧品業界ではね。北海道から沖縄まで行ってた。一日このひとに頼むといくらです、っていうランクがあって、うちの会社で一番上だったの。それ以上はもらえないの。なおかつ、ひとに喜んでもらえる商売ではない。化粧品メーカーさんには喜んでもらえるけど、僕が目をみて話した何十人、何百人ていうひとは、本当に心の底から得したと思っているのかな? いや、絶対そうじゃない。悪いけど、騙してるし。最初は売り上げ取ることが楽しいし、全国ナンバーワンになっていくのが楽しくてしょうがないけど、だんだん俺なにやってるんだろう、って。目の前にいるひとたちを幸せにはしてないな、って。で、自分の売り上げはてっぺんだし、これから先、この仕事をやっていて、これ以上ってなくて、あと落ちていくだけなんだな、と思ったときに、結婚するときだったの、かみさんと。ずっと同棲してたんだけど、かみさんが「嫌な仕事をずっと続けててもしょうがないし、一生一度なんだから、なんでも好きなことやれば?」って。で、俺ずっと芝居やってないもんなあ、でもいまから劇団作りますとか、そんなことやる年齢でもないし、三十だし。で、たまたまYouTubeで(桂)枝雀師匠観て。

:そこで枝雀師匠を観るんですね。なにを観たんですか?

:「上燗屋」。

:「上燗屋」観て。

:「うわっ、おもしれえ!」と思って。「なんでこんなにおもしろいの!」って、俺その日十回観て十回連続で爆笑して。

:落語を観たとき、これは俺に向いてるって、皮膚感覚で感じました?

:それは分からない。でも枝雀師匠を観たときに、これまでお客さんを不幸にしてきたけど、お客さんも楽しい、演ってる自分も楽しい、これをやりたいな、しかない。向いてる向いてないは、分からない。で、かみさんも芝居をやってたひとなんだけど、稲田(和浩。演芸作家)先生と知り合いで、稲田先生の芝居に出たこともあったのね。家も近かったから、俺も顔だけは知っていて、それでかみさんに稲田先生に紹介してもらったの。で、稲田先生に(春風亭)栄助(現・百栄)兄さんを紹介してもらった。焼きとん屋で。

:なんで百栄師匠だったんですか?

:年齢いってから落語家になったっていう(注:百栄は三十二歳で入門)。

:あ、その共通点で。

:それで稲田先生が選んでくれたんだと思う。

:面接ってわけじゃないんでしょうけど、兄さんをみるわけじゃないですか、百栄師匠が。俺が百栄師匠から聞いたのは、「この子だったら、どこにいっても一流になるよ」って言ったって。

:俺、それは知らない。覚えてない。...いいこと言うね!

:これも聞いた話なんですけど、稲田先生に講談師を勧められたって。

:言われた言われた! 「講談いまひと少ないからチャンスだよ、チャンス!」って。

:稲田先生が(笑)

:チャンスっていうか、講談は男のひと少ないから、競合少ないからいいんじゃない? っていうようなことを言われたのは覚えてる。で、講談を観たのかな。「やだ」って思った。

:(笑)

:だって、最初の出会いで、枝雀師匠観て爆笑してるから。俺これ別にやりたくないや、って。枝雀師匠になりたいんだもん。だったら敵が多くても落語家がいいと思った。

:兄さん現場いったの? 

:覚えてないくらいだから...でも、行かなきゃいけないじゃん。なにかしらは行っただろうね。

:で、「やだ」と思ったの?

:「やだ」と思った。(瀧川)鯉昇一門会にも行ったの。(瀧川)鯉斗兄さんと(瀧川)鯉八兄さんがまだ前座で。袖にいるのとか、高座も観て、「あ、やっぱりこっちだ」と。

:なるほどー。

:俺がやりたいのはこっちだ、と。"地"が多いじゃん、講談って。

:多いですね。

:俺、芝居やってたから、"会話"をやりたいのよ。

:なるほど、そっかー。でも兄さんが、そのときに(神田)山陽兄さんみたいなすごい講釈師を観てたら、こっちに入った可能性もある?

:あるあるある。そのときにいまの松をね、もし観てたら。「中村仲蔵」とか? (松之丞のモノマネで)「どぅわばぁうわぁ〜」っていうのを。あの、これ文字でちゃんと「どぅばぁ〜」ってのっけてください。

:でも兄さん、マジで山陽兄さんを観てたら。

:入ってたかもね。

:入ってたかもしれないのかー。

:山陽先生観てたら、入ってたかもね。

:兄さんが講談入ってたら、変わっただろうな。

:いや、途中で飽きたんじゃない? わかんない。そこは。

:わかんないね。その世界、もし兄さんが入ってたら。

:うーん。講談をやってたら...俺ね、いま地噺(注:叙述説明の多い落語。『紀州』『目黒のさんま』など)やらないでしょ? 逃げそうな気がするんだよ。

:あー。

:漫談好きだから。

:上手いから。

:上手いからっていうか、好きだから。お客さんもウケるじゃん? 好きでやってるから。俺、それ逃げそうで。やんないのよ、いまは。逃げるっていうのもあれだけど、そればっかりやりそうで。

:分かります。

:講談師だと、地でしゃべれるところがいっぱいあるじゃん?

:そうですね。

:俺、そんなことばっかりやりそうだから。「お客様! いま笑うところでございます!」とかね。結果としてならなくてよかったね、っていう。

:それはそれで独自のアレンジでおもしろかったかもしれないですけどね(笑)。

:あいつ講談師じゃなくて漫談師だよって言われそうなくらい、やっちゃってそうな。おまえもそういうのやるけど、ちゃんとやるじゃん、連続物とか。

:やりますね。

:おまえみたいな、まっちゃんみたいな考え方には、俺はならないと思うから。なんで「淀五郎」とかやんなきゃいけないんだ、みたいな。そんなのやらないよ? 俺。講談行かなくてよかったよ。

:それで落語家になろうとして。

:会社でスケジュール管理をしてくれていたマネージャーさんにだけ、「辞めます」って伝えたの。驚いてたけど「そうね、そういう時期かもね」って。いま入っている仕事は全部やりますけど、これ以上は取らないでください、ってお願いして、二ヶ月くらいかな。仕事やりながら、休みのときに寄席通いをはじめたの。それまで行ったことなかったから。寄席行ったことないのに落語家になりたい、ってすごいよね。新宿(末廣亭)、浅草(演芸ホール)、鈴本(演芸場)、(お江戸)広小路(亭)、黒門亭、ぜんぶ行った。

:黒門亭行ったんだ! 兄さんが(笑)。

:行けるところは全部まわろうと思って。栄助兄さんも「この師匠とかこの師匠とか、いいんじゃない?」って勧めてくれたんだけど。

:えっ、これ出さないですけど、誰勧められました?

:お弟子さんがいない師匠とか、いるけど少し離れてる師匠とか。◯◯師匠とか、▲▲師匠とか。

:地味なところ勧めてくるなあ。

:落語協会しか勧めてこなかった。そのとき、栄助兄さんが稲田先生に「重宝帳ない?」って言って、"ちょーほーちょー"って言葉だけすごい覚えてたのね。「"ちょーほーちょー"ってなに?」って。

:ああ、すごい宝のイメージ。

:で、入門して事務局で重宝帳もらったときに、「これ!?」って。「あの噂の"ちょーほーちょー"!?」って。

:(笑)

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「重宝帳」とは、落語芸術協会と落語協会に所属する芸人や、各寄席、演芸関係の連絡先が載っている手のひらサイズの冊子のことです。


:で、やっぱり我が強いからなのか、パソコンで全部調べたの。入ったらどういう地獄が待ってる、とか、師匠のことをどう思わなきゃいけない、とか、メールで入門志願してくるやつはありえない、とか。いろんな情報を、まずパソコンで調べて。で、思ったのは「勧められたから入った」とか「売れてるから入った」とかって、無理だな、と。自分の父親のように思えるというか、このひとが倒れて動けなくなったときに、下の世話までできるひとは誰だろう、そういうひとを探さなきゃいけないんだな、と。心の底から愛せるひとは誰だろう、って思ってて、うちの師匠(桂伸治)が国立(演芸場)で出てきた瞬間に、「はぁっっ!」と、出会い。嘘偽りなく。国立の下手から、こうやって出てきたときに、「あ、このひと! 絶対このひと!!」。

:しゃべる前に。

:しゃべる前に。なに演ったかも覚えてない。とにかくこのひと。このひとに断られたら、噺家にならないって決めてるから。

:へー。

:だって、このひとに断られて、じゃあ他のひとに、って、そのひと愛せないでしょ。

:まあ、そうですね。前の会社が嫌で、好きなものを突き詰めた先に伸治師匠がいたって、すごく純粋な。それでどうしたんですか?

:国立の外に出て、まだ頼みにも行ってないのに、かみさんに電話して「師匠が決まった!」って。それから、師匠がどこに出てるのか調べて。新宿で毎年(桂)文治師匠がトリの年末の芝居にうちの師匠出てるから、末廣亭に行ったんだけど、入り口が分からないじゃん? 

:分かんないですねえ。

:だからねえ、出会うまで三日かかった。

:えー。

:こうやって(ドアの向こうを伺う仕草)。

:兄さんひとりで開けたの?

:開けないよ開けないよ開けらんないよ。怖いじゃん! 

:そうですね、末廣は特に怖いですね。

:前か後ろかで、バタバタして「あ、後ろだ」と(注:末廣亭の楽屋は裏側にあるのだが、建物外から正面側に抜けるための小道があり、それぞれ道路に面してドアがある。そのため、出演者がどちら側のドアから出入りするか分からない)。

:そのとき兄さんいくつですか?

:三十。三十一になるときかな。

:スーツ着て?

:スーツは着てなかったかな。ジャケットは着てたけど。下はジーパンで。「とらや」の羊羹の桐箱入りを持ってうろちょろしてたら、KINBASHA(注:末廣亭楽屋側の並びにあるパチンコ屋) のところでスニーカーにジャンパーを着た男のひと二人に囲まれて。なにかと思ったら、麻薬の密売人に間違われたの。紙袋持って、毎日うろちょろしてるから。

:(笑)兄さんそれ、マジで? ネタじゃなくて?

:マジで。「君、ちょっと」つって。「警察だけど」って。

:警察に?

:マジで。KINBASHAのはじっこに寄せられて。「なんですか、これ」って言われて。「いや、落語家になりたくて、入門のあれで...」ったら「ああ、そうですか!」って。「そこ入り口ですもんね!」って。

:それで何日かして。

:それで(鏡味)勇二郎先生(注:ボンボンブラザーズ)が入ってくのを見て。そのとき勇二郎先生のことをまだ知らないんだけど、なんかあいさつしながら入ってくから、ここだな、って決定して。うちの師匠が入っていくときに、意を決して「すいません」って。「なに?」「あのう、伸治師匠ですよね」「ああ、そうそうそう」「あのう、師匠の高座を観て、噺家になりたくて、弟子にしてほしいんです」って言ったら、「俺ーーー!?」って。

:(笑)

:「もっとほかいっぱい観たほうがいいよ!?」って、あの感じで。「いやいやいや、黒門亭も行きましたし、浅草新宿池袋、全部行きました。で、師匠が国立にお出になったときに、もうあの」

:それ全部言ったの、兄さん。

:だって、「俺じゃないよ、いっぱい観たほうがいいよ」っていうからさ。そこで観た、と。「そんな観たの? 観て、俺?」って。

:兄さん、ごめんなさいね、会話途中で切っちゃって。兄さんの「伸治師匠ですか?」ってくだり、おもしろいですよね。そこの確認。

:それは。ごめん、それは俺、ちょっと盛ったかも。

:えー(笑)。

:俺さあ、想像のなかで、ポイント足すから。

:おもしろいところ足しちゃうんだ。

:それで、立ち話もなんだから、まだちょっと時間あるから、ってプロント連れて行かれたの。KINBASHA の横の。だからKINBASHAにはすごい思い入れがある。

:麻薬の密売人に間違われたり(笑)

:「で、きみいくつ?」「三十です」「えー!? 遅いよー」って。

:(笑)新鮮。反応が。

:思いの丈をすべて話して。しかも「結婚して...」「結婚してるのー!?」って、驚きワードがいっぱいだったみたい、うちの師匠に。

:(笑)

:「やめたほうがいいよ! 貧乏だよ? 夢とかないよ?」「でも僕、仕事辞めてきました」って言ったときに、「うわぁ...辞めちゃったの?」って。

:感情漏れすぎでしょ、伸治師匠(笑)

:これも、俺、ちょっと盛ってるかもしれない。

:忠実に言ってよ(笑)

:いやいや、そういう感じだったと思う。やめさせる、とらない。「僕に来てくれて、そこまで観てくれてありがたいけど」って、あの軽いにこにこした感じで。

:紳士なんでしょうね。警告して、現実を見せたうえで。

:そうそうそう。

:ってことですよね?

:ひとを不幸にさせたくないひとだから、うちの師匠は。

:ああ、いいこと言う。

:絶対、そういうひとだから。ほんとうにこの子の人生を考えたら、俺に入る入らない以前に、噺家になるのをとめてあげよう、落研(注:落語研究会。大学などのサークル)でもないしなんでもないし。でも、結婚してて、会社辞めて来ちゃったんだー、って。「とりあえず、こういうのは、親を呼んでこいっていうんだよ。でもきみの場合は、三十も超えて、結婚もしてます。だから、かみさんを連れてきなさい」って言われて。一ヶ月後、浅草に行って、師匠の出番が終わって近くの喫茶店に行って、うちのかみさんと師匠と三人と。「いいの? 噺家になって。僕が言ったこと伝わってると思うけど、ほんとに貧乏だよ? 売れるなんてほんっとに一握り。そんなのなれないと思ったほうがいいから。何十年にひとりとかだよ? ほんとに貧乏だよ。ほんとに辛いよ? ほんと貧乏だよ」って、ずーっと言ってくれたの、かみさんに。

:(笑)

:僕っていうより、かみさんに。やめさせよう、と思ったんじゃない? 「夢のない商売だよ」っていうのをちゃんと言って。「いいの? 人生続くんだよ。やってて楽しいんだけどさ。ほんとにおかみさんって辛いんだよ。それでもいいの?」って、これいつも俺、泣きたくなっちゃうんだけど、「ほんとにいいの?」って師匠が言ったときに、うちのかみさんがテーブルに手をついて「お願いします」って頭を下げたの。「よし、わかった。じゃあ今日から俺の弟子」って。

:すてき。

:人情噺やってるみたい。今度やろうかな、「宮治物語」。

:兄さん、それ晩年にやるやつですよ(笑)

:いや、来年やる。しかも泣きながら演っちゃうから。

:いいおかみさんですよね。

:俺、かみさんいなかったら噺家になってないからね。師匠に断られたら、別の仕事しようと思ってたの。俺ね、いろんなバイトしたけど、それなりに成績残すのよ。飲食店でもバイトリーダーにすぐなっちゃう。器用っていうか、なんか、出来るなって。

:自信があるわけですね。

:多少。及第点より上には行けるよな、っていうのがあったから、噺家には真剣になりたいけど、なれなかったら違う仕事しよう、結婚を機に人生を全部変えようって思ってた。あとあとになってだけど、選挙のとき駅前で演説してるじゃん? 下手だな、と思っちゃうの。なんにも響かないな、と。俺、やったら受かるんじゃねーかな、と思いだして。

:(笑)わかるわかる。

:冗談で「俺、区議とか出る?」って言ったときに、「絶対やめて。向いてないから」って。

:おかみさんのジャッジがあるわけですね。

:そ。「なんで? なんでもいいから好きなことやれって言ってたでしょ?」って言ったら、「なんでもいい、とは思ってなかった。YouTube を観て落語家になるって言ったときに、"ああ、このひとこれならなんとかなるかも"って直感で思った。だから、"いいよ"って言ったんだよ」。

:なるほど

:「他の仕事だったら、"これはダメ"とか言ってた」って。もう長いことずっと一緒にいたから、俺のこと分かってるから。

:じゃあ二人の意思で、落語家になった。

:そうそうそう。「落語家だったら、なんとかなるかもしれない。わたし貧乏やだったもん」って。いまも貧乏だけど、まあ。

:いやいや。賭けるだけのなにかが。

:あったんじゃない? 「あったよ」っていうのは、何年か前に言ってくれた。

:それで伸治師匠のところに入って、どうなったんですか?

Vol.2「兄さん、前座時代の「神田松之丞」はどんな後輩でしたか?」

Vol.3「兄さん、二ツ目の最高峰から見てる景色は?」につづく