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木村万里さん(渦産業)に、訊いてみた。Vol.3「万里さん、いちばん好きなひとと、いちばん嫌いなひとは誰ですか?」(最終回)

木村万里(写真右)

1948年、富山生まれ大阪育ち。笑いのジャンルシャッフルライブ「渦」を主催するほか、夢空間、成城ホール、北沢タウンホール、清瀬けやきホールなどの公演の企画制作を手がける。

【ホームページ】http://uzumarishiro.web.fc2.com/index.html
【Twitter】http://twitter.com/uzumarishiro

Vol.1「万里さん、なぜ「神田松之丞」を"志の輔師匠以来の抜擢"したのですか?」

Vol.2「万里さん、立川談志師匠と「神田松之丞」は似ていますか?」

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松之丞(以下、松):万里さんのなかで、(立川)談志師匠との出会いがあって。でも実は(古今亭)志ん朝師匠いいな、と思ってた、とかありますか?

木村万里(以下、万):志ん朝師匠きれいだな、と思うし、娯楽の一形態として、生活のなかでお金払って、誘い合って数時間楽しい思いして、帰りに食事でもして帰ってく、っていう風にしたいひとは、志ん朝師匠いいよねえ。だけど、わたしはずっとそういうゆとりのある生活じゃなかったから、志ん朝師匠を楽しむ気持ちの余裕がないんです。もったいない話なんですが物足りなくなっちゃうというか。

:もっと談志師匠のようにえぐったような

:必死に生きてる人間が出てくるものを観たくなる。たまにね。そればっかりだとくたびれちゃうけど。

: 19歳から、それは変わらず談志師匠的なのが好きだったんですね。

:そうですね。(古今亭)志ん生さんは最高に好きですよ。とどめを刺しますね。志ん生は、生で観てないんですよ。東京出てきたときに(注:1969年)、人形町(の寄席)に志ん生師匠出てたんだけど、こっちは忙しくてお金もなくて観られなかった。観たとしても最期の方だからね(注:志ん生は1973年没。1961年に脳出血で倒れ、1968年より事実上引退状態であった)。

:東京に来てから観た古い芸人さんって、誰がいますか?

:高砂家ちび助(注:1905〜1983年)。分からないでしょ(笑)。

:高砂家ちび助(笑)。

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写真右列上から二人目がちび助師匠。

:ハエになるの。最初、マクラで普通にしゃべって、途中からハエになるの。で、高座でハエ取り紙にくっついて、逃げたいけど逃げられない、っていう芸。(身長)140㎝くらいの人。

:(Wikipediaで検索して)桂小文治師匠(注:二代目。1893〜1967年)の弟子だったんだ(笑)。

:あとは、江川マストン(注:二代目。1910〜1998年)っていう玉乗りのおじいさん。

:それ、映像残ってますよね。

:残ってるよ。NHKのDVDで出てるかな(注:「昭和名人芸大全 -珍芸・奇芸・ビックリ芸」ポニーキャニオン)? それ、わたしと神津(友好)先生とで監修してます。早野凡平さん(注:大道芸人)も最高。凡平さんの師匠のパン猪狩さん(注:ボードビリアン)、(パン猪狩の)弟(注:ショパン猪狩)の東京コミックショー、ボン・サイトさん(注:トロンボーン漫談家)、布目貫一さん(注:コミカル浪曲)とか。ちび助さんは出てないな。悔しいな。出しとけばよかった(笑)。だから、ちょっとおかしい芸が好きなんですよ。

:なるほど。寄席芸の中でも、そういうおかしい芸が。

:そう。ばかばかしいじゃん。このひと、どうやって食っていくんだろう? って(笑)。この(柳家)語楽ってひとも面白かったんだよ。膝に、こういう絵を描いて(写真右列下から二人目)。もちろん落語も好きなんだけど、伝統があってさ、噺ができてて、それをやってくわけでしょ。だけど、このひとたちって、なんにもないんだよ? 自分で思いついて、これでメシ食っていこうっていうんだから大変なことですよ。

:確かに。万里さんは、それを支えたい、っていう願望もあって。

:支えるなんておこがましいことは言えないんだけど、なんか見ていきたいっていう。新しい枠組みを、自分で作って生きていくひとたちのエネルギーにあやかりたいかやつりたい、って感じなのかな。

:それが「渦」の流れになってくるんですか?

:2002年に、「渦」の前身の「絹」っていうのがはじまったんです。関わったのは二回目からだったかな。

:それはどういうきっかけで。

:故林広志さんっていう、「笑っていーもんかどーか」(注:Vol.1参照)レギュラー執筆陣のひとが書いた「ガバメント・オブ・ドッグス」のコントが、すっごい面白かった。そのひとが、ライブをやりたい、って言うんで、コントのライブをはじめたんですね。

:場所はどこですか?

:一回目は渋谷のシアターD。そのあとに(しもきた空間)リバティができてからは、リバティで。

:「渦」と「絹」はどう違うんですか?

:「絹」はコントが基本です。コントってね、演芸と違う視点なんですよね。最初、設定から入るでしょ。(瀧川)鯉八さんは落語でそうだけど。違う設定がポンとあるじゃない? それがとっても新鮮だったんですよね。そういう視点を、演芸にも入れられたら面白いんじゃないか、と思ってたの。それはいま(立川)吉笑さんとか鯉八さんや(昔昔亭)A太郎さんらがやってるけどね。そのころは、まだ早すぎたんでしょうかね。それで、わたしのお客さんは演芸関係が多いから、結局演芸をやらないと来ない。

:コントやるから来てよ、って言っても二の足を踏んじゃう感じ。

:興味ないからね。じゃあもう、番組に演芸関係入れちゃおうかなって。十八回目からね。

:「絹」ずっとやって、十八回目で「渦」に変わってった。講談で出させていただいたのって、(神田)山陽兄さんと僕くらいですか?

:山陽さん懐かしい、そうですね。その時はまだ北陽さん。しもきた空間リバティこけら落としのときに、現山陽、(林家)二楽、(三増)紋之助 、(国本)武春さんに一緒に出てもらって、そりゃあ楽しかったです。

:なるほど。僕の行くとこ行くとこ、必ず山陽兄さんの足跡があるので(笑)。僕を「あかぎ寄席」で見つけて、すぐ「渦」に出してもらったじゃないですか。早いですよね、現場に行くのが。テレビに出る、二段階前くらいで現場に行ってるじゃないですか。

:ライブやってたら、そうじゃないと。だって、テレビ観て行ったことはないなあ。

:情報がばん! と入ってきて、「これは行こう!」「これ面白い!」「渦に取り上げる!」みたいな流れ?

:そうそう。だって、ライブの方が面白いもん。テレビは、レンズの目が入るから。タダ(無料)で見るものだから、当然そのように親切に作らないといけないし、見せてもらってる感覚。で、実はタダじゃない。スポンサーさんの意向が入ってる。わたしは、こちらから自主的に観ていきたい。

:やっぱりライブがいい、と。

:生きてるひとを、肌感覚で感じていたい。

:万里さんのなかで、ライブが世間的にも重要視されてる、っていう空気は感じますか?

:それはもう。みんな思い違いしてるのは、「1980年代はお笑いすごくて」って言うんだけど、いまの方がすごいんだって。80年代初期にお笑いやってたにライブは「円山見番寄席」しかなかったですから。いまのこの百花繚乱ぶりときたら! 落語に限らず、ね。だから80年代の笑いがすごいっていうひとは、現場に行ってないんだと思う。ただ、テレビ番組は多かった。

:ライブは、いまがいちばん。すごくいい、と。

:そう。隆盛。これからもっとよくなる。

:この業界長いひとになると、自然と高慢な感じになると思うんですけど、万里さん全然自然体ですよね。

:だって、笑いが好きだったら、そこに上下関係があったらおかしいですよね。上下関係が嫌だから、笑いが好きなんでしょ? 笑ってひっくり返したいんだから。だから笑いの世界で、ことさら上下関係が出来ていく、っていうのはすごい変だと思うんだよね。礼儀は必要でしょうけどね。ま、その境目が難しいわけだけど。

:そういうのが自分の根本にあって律してる、っていうのがちょっとあるわけですね。

:ありますね。だから、「渦」みたいに、ジャンルの違うのを合わせると誰が偉いか分からないじゃん(笑)。
 
:そうですね。(「渦37」のチラシを見ながら)小林のり一先生がいちばん偉いと思いますけど。

:年齢順とか香盤とか、そんなへったくれもないからさ。マイムと落語、どっちが偉いとか、ないから。

:ぺぺ桜井先生とのり一先生と、どっちが偉いかは分からないですからね(笑)。

:そう(笑)だからやってるのかな。かもしれない。

:どっかでそういうものを否定したいというか、権力を否定したい、みたいなことですか?

:「支配は愛を奪う」って言葉があるんですよ。支配した時点で、そこに愛はなくなる、っていう。だからこういうのが好きなのかもしれない。色物(注:寄席演芸のなかで、落語や講談などの"話芸ではない"ジャンルの総称)って、そのひとだけしかないじゃん。上下関係も何もないじゃん。みんな違う。そういうのが好きなのかもしれない。わたしが「渦」で色物さんをやりだしたのは、落語に足しげく通うお客さんがすごい増えたじゃない? ということは、お金払って時間作って会場に足を運ぶ、っていう習慣ができたってことだよね。その次に、落語に慣れてきたら、もっと違ういろんなひとを観たくなるんじゃないかな? っていうのも予測してて。

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:「渦」は半年に一回のペースですよね。我らが瀧川鯉八も出るし、いい感じですよね。

:そう。鯉八さんもね。モロ(師岡。俳優)さんも出るし、キン・シオタニさんがイラストレーターだから、大橋(裕之。漫画家)さんと一緒の日ってお客さんも面白いかな、って。

:なるほど、そういう組み方も。

:松之丞さんを好きなひとが観に来るんだったら、「おほほ渦」(5/1昼)かなあ。李政美さん、(玉川)奈々福さんの大先輩らしくてびっくりしてた。「京成線」っていう歌があるんですけど、美しい声、響く歌詞です。あと、ここなんか面白いんじゃないですか(4/30昼「うふふ渦」)。ヘルシー松田さん(注:パントマイム)はね、みんなリスペクトしてる。三十年前くらいに、渋谷のハチ公前でやってらしたのを観て、(立川)志の輔さんの会にゲストで出てもらったり(注:Vol.1参照)。「花王名人劇場」(Vol.2参照)にも出てもらったり。

:そんな古い芸人さんなんですか。

:ヘルシー松田は、当時本名でやってたのね。それじゃ分からない、って、わたしが「ベルーシ松田」って名前をつけたの。ジョン・ベルーシ(注:アメリカのコメディアン)が流行ってたころだから。で、「ベルーシ松田」でやってたんだけど、ひとに言っても「ベルーシ」って分からないから、「ヘルシー」にしてもいいですか? って電話がかかってきて。じゃあそれで、って現在に至る。

:面白い。

:「絹」のときだったかな、ヘルシーさんに出てもらったんだけど、そのときに「芸に開眼した」って葉書が来てね。「わー、すごい! よかった‼︎」って思ったら、そのあとに、「あれは違ってた」って葉書が来て。

:(笑)

:で、「まだ僕は「渦」には出られません」って。「えー!」と思って(笑)、もう声かけられなくなっちゃった。

:繊細なんですね(笑)。

:それで、今年偶然亀戸の会に出るチラシを見かけて、「まだやってる!」と思って。昔の電話番号だけど、出るかな、とおそるおそるかけたら、お母さんか奥さんかが出て、「あ、いた!」と思って。

:それ、お母さんと奥さんではえらい違いが(笑)。

:さりげなく「渦37」で聞いてみる!

:万里さんの演芸史的に、いちばん好きなのは志ん生なんですか?

:志ん生かなあ。最高峰。あと、ダイラケ(注:中田ダイマル・ラケット)。

:漫才の。僕、大好きなんですよ。

:父に連れられて(道頓堀)角座(注:2008年閉館)で観て。もうそれで、衝撃受けて。

:お父さん、演芸好きだったんですか。

:当時、大阪で子どもをどこか連れていく、っていったら動物園か角座か宝塚か淀川の堤防。

:(笑)そうですか。いちばん最初に行ったのって、いつぐらいですか?

:分からない。ダイラケが印象にあるのは、たぶん小学生だと思うんですよね。角座っていうのは、盆地のような作りになってるんですよ。舞台に二人が出てるのを、上の方から、こう、観てるじゃない? するとね、全体が波打つんですよね。

:笑いで揺れてくんですね。

:それ見てると楽しくなっちゃって。それで上の方からトトトトって降りてきて、舞台にアゴをのっけて観てたんですよ。

:かわいい(笑)

:アイドルを見るように、こっち向いてくれないかなあ、って思った記憶があるんですよ。角座の舞台にアゴが乗っかるぐらいだから、小学校何年生だろうねえ。

:ダイラケの印象が強くて。

:そう。もうそれっきり。とどめをさす、っていうのかな。なんせ面白かった。全体がこう揺れてたから

:爆笑で。

:ダイマルラケットが、原体験として印象に残ってる。それ以上のものはそのころなかったから。宝塚も行ったし、文楽も行ったし。文楽はね、大阪の朝日座(旧・道頓堀文楽座)のこけら落としの日に。父に抱かれて。

:大阪のひとって、そんなに行くもんなんですか? 万里さんのご家庭は、結構行ってる方ですよね?

:そうなんだよね、きっとね。たぶん両親は富山から出てきたから、大阪でそういうものが観られるのって、嬉しかったんじゃないのかな。それに戦時中、街中が娯楽に飢えてた時期からガラッと変わった戦後、街が活気に満ちてた気がします。

:あー、親が。

:わたしを連れていくと面白かった、って言ってましたよ、父親が。連れていくと、とにかくこうやって前のめりに観てるから。

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こうやって。

:いまと変わらない。客席が好きっていう。「万里さんを連れていくと、じーっと観てるから面白い」って。それで連れて行ってたみたいですね。映画は、母親がよく連れて行ってくれて。上映中ずっと「このひとは誰?」とか「このひとどうして笑ったの?」とかずっと聞くから、もう連れて行かない、って言われちゃって(笑)。なにも言わないんだったら連れて行く、って約束させられて、聞けずに我慢してた記憶がある。

:最初から、連れて行ってもらって楽しい、っていう原体験だったんですね。

:そうそう。あと記憶にあるのは、父親が「最近漫才でね、テンポがいい面白いの出てきたぞ」って言って。緞帳幕前で、すごい元気な二人がやったんですよ。「へー、面白いね」って。それがやすきよ(横山やすし・西川きよし)だったんですよ。

:へー! なんか、お父さんアンテナ張ってる(笑)。

:そうそうアンテナ張ってるよね、いま思えばね(笑)。

:なんのご商売だったんですか?

:繊維関係のサラリーマンですよ、普通に。志ん生も聴いてたからね。嬉しそうにラジオで志ん生聴いてて。子どものころは、分からなかったですよね、なにがおかしいのかは。

:ラジオでお父さんと一緒に志ん生を聴いても、落語はそんなによく分からなかった。

:「志ん生」っていう人名憶えてるってことは、興味はあったんでしょう。「父親がそんなに興味をもって聴くのはなんだろう」っていう疑問はあったから。角座に連れていってもらったときに、「きょう、万里さん誰が面白かった?」って聞かれて、「(桂)朝丸(注:現・ざこば)が面白かった」って言ったら、なんか喜んでたっていう記憶がありますよね(笑)。

:(笑)大阪では、落語は色物というか、漫才の間に出てくる、っていうものですよね。ほかの落語家さんの印象とかってありますか? 

:なんでだろう、ないなあ...いま話したのぐらいですね、記憶にあるのは。

:最後に、僕にもっとこうした方がいいとか、こういう風になってほしいな、とかあります?

:そうですね。これからメディアのお仕事とか来ると思うんですけど、メディアに依存しない立場を保持してほしいですね。

:ライブで生きる、っていうのを前提にしながら、メディアを利用するぐらいがいい、と。

:そう。ライブに出てるのを、現象として捉えさせてください、っていうのなら、広報になるじゃないですか。"テレビのタレント"として出ることを要求されたら、それは全然違う神経が必要だからね。もしそれでやっていこうと思ったら、それなりの時間をそこに費やさなきゃいけないから。依存しないように、ライブに生きてほしい。だって、ライブで生きてたら、ずっとライブで生きていけるじゃない。あと、芸的には、ぐーっと押すのがすごい迫力があっていいけど、そのなかに引きの笑いをいくつか入れると、立体的になって得なんじゃないかとは思いますね。

:ありがとうございます。最後に万里さんが若い談志師匠に言った質問で締めくくってもいいですか?「いちばん好きなひとと、いちばん嫌いなひとは誰ですか?」

:誰にも文句言われないように、「志ん生」とか言っておくといいよね(笑)。

:(笑)好きなひとは、志ん生。

:嫌いなひとは、猫飼っちゃいけない、って言ったうちのマンションのおばさんかな。

:差し障りないなー(笑)。本日はありがとうございました!


※木村万里プロデュース、夢空間主催の松之丞独演会

2016年4月23日(土)神田松之丞 独演会"松之丞ひとり+(プラス)〜夢成金" こちら

2016年7月26日(火)神田松之丞独演会(其の四)"松之丞ひとり~夢成金" こちら

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