Blog

サンキュータツオさん(米粒写経)に、訊いてみた。Vol.2「タツオさん、なぜシブラク(渋谷らくご)をはじめたのですか?」

サンキュータツオ(写真右)
1976年生まれ、東京都出身。早稲田大学の落語研究会で出会った居島一平と漫才コンビ『米粒写経』を結成。ボーイズバラエティ協会員。一橋大学非常勤講師。落語関係の執筆・編集協力などのほか、学術論文なども執筆。
【公式ブログ】サンキュータツオ教授の優雅な生活 http://39tatsuo.jugem.jp/
【Twitter】http://twitter.com/39tatsuo

Vol.1 「タツオさん、寄席演芸の原体験はなんですか?」
Vol.3「タツオさん、あなたにとって「神田松之丞」とはなんですか?」

松之丞(以下、松):(古今亭)志ん朝師匠が亡くなって(注:2001年)、タツオさんも漫才コンビをはじめたり、大学院に通ったりで、落語から、いちど離れようと。タイムマシンに乗ろうと。
  で、五年ちょっと置いて、タイムスリップして。

サンキュータツオ(以下、タ): そうですね。それで久しぶりにいろいろ聴きにいったら、若手が盛り上がってんな、って思ったんですよね。
あ、文吾さんが(橘家)文左衛門(注:2001年に襲名)になって、もうすっかり馴染んでるなあ、とか、(橘家)圓太郎師匠、相変わらず古典と向き合って、さらにうまくなってるなー、とか。 五年だけのタイムトラベルでも、めちゃくちゃ面白かったんですよ。
松之丞さんの前だけど、あれ? (神田)山陽さんどこ行ったの?? って。 

:(笑)

:「え、いないの!? えー、なんで!?」っていう。

:タイムトラベルしたら、いなかったっていう(笑)。

:そうそう、びっくり!

:(笑)タツオさんが、また落語を観はじめるきっかけは、なんだったんですか?

:そうですね、(立川)こしら師匠と(立川)志ら乃師匠が大きかったんですかね、振り返ると。
お二人は前座のころ、一緒に勉強会をやっていて、米粒写経をゲストに呼んでくれたりしてたんですよね。で、この二人、どうなるんだろうって正直思っていました。
まず、(立川)談志師匠が生きている状況で、(立川)志らく一門で、寄席もなくて、出られる会もそんなにない状態で、談志師匠の認める基準の、五十席に何年かかるんだって考えたら、客観的に見てこれ無理なんじゃないかと思ってました。
同世代だし、応援したい気持ちが強いですけど、談志師匠の孫弟子、という存在の仕方もまだわからない時代だったので、ただただ見守ることしかできずにいました。 (注:立川流では、落語を五十席覚えることが二ツ目昇進の基準のひとつ)。
でも、お二人とも二ツ目昇進して、お二人なりにいろんなコンプレックスもあるんでしょうけれど、志ら乃師匠が真打昇進チャレンジをはじめたのが、2008年くらいだったかな。で、観てみようって思ったんですよ。
志ら乃さんが何度も失敗して、ノイローゼになってく感じとかが、申し訳ないけど超面白かったんだよね。

:ドキュメンタリーとして。

:「うわー、もうしんどいわ...」って思った。 当時、僕自身が、博士論文をいつ出すか、ってのがあったんですけど。
早稲田の博士論文って、立川流の真打昇進と同じくらいハードルが高かったと思うんですよ、当時。僕の専攻分野では、過去ひとりも博士論文が通ったことなかったし、ラストチャンスでやってみるか、というときに、志ら乃師匠が挑戦するっていうから、なんか負けてられないな、っていうのもありました。

:あー、自分の状況と重なったわけですね。

:そう。で、昇進失敗するってのを見て、 「あー、俺もやっぱり博士だめかー」(笑)

:え、タツオさん結局取ってないんですか?

:取ってない取ってない。

:そっか。自分の人生とオーバーラップさせるっていうのは、常にプロレスも落語も。

:その苦しみっていうのを、全部出すんだよね。こしら師匠は逆で、僕のなかでは、江戸っ子なんだよね。江戸っ子でありルパンであり、本心を絶対に言わないダンディズムがあって。
ネタ一回も重複しないし、マクラで同じ話は二度としない、っていう格好良さがあった。前座のころからすっげぇネタやってたから、この人が真打になる日がきたら、超面白いかもって思った。

:面白いなあ。その流れで、こしら師匠と志ら乃師匠きっかけで、また通いはじめる。ところで、ブランクの間は、なにをしてたんですか?

:お笑いと研究。あとNBA、アニメ、横浜ベイスターズ。

:(笑)じゃあ、落語だけはずれてる。

:そうそうそう(笑)2000年代のベイスターズに傷つきまくってた。 「生きてて、楽しいこと何もねーな!」みたいな。

:常に傷ついてる(笑)。

:ベイスターズファンやめたい(笑)。もはや「業」だからやめられないんだけど。

:(笑)ブランク後、少しずつ観はじめるなかで、そこで特に誰かにハマったとかありますか?

:あ、(春風亭)一之輔師匠!

:あー! ここで一之輔師匠が出てくるんですね。

:まずね、当時の演芸仲間で日芸(注:日本大学芸術学部。一之輔の出身校)のやつがいて、「ヤバい学生がいます!」と。

:(笑)そういうのって、噂で来るらしいですね。どういう感覚なんですか、僕あんまりわかんないんですけど、「甲子園に怪物現る!」みたいな?

:「清宮みたいなやつが現れた!」みたいな(笑)(注:清宮幸太郎。早稲田実業の外野手で、2015年夏の高校野球で『怪物一年生』と話題になった)
「プロになりましたよー」「誰のお弟子さんになったの?」「一朝師匠です。こんど江古田で勉強会やるんで見に来てくださいよー」って観に行って、「とんでもねぇ奴がいる!」って。で、ちょうど落語に戻ったときに、 「あのときの前座がとんでもない領域にいってる!」という感動がありましたね。

:(笑)それで2009、2010、2011年とふわふわと少しずつ戻り始めて。

:で、談志師匠がいよいよだぞ、と。震災あって、談志師匠が亡くなって。

:タツオさんにとって、談志師匠の死っていうのはどういう意味合いもってます?

:実体の消滅だよね、覚悟はしていましたけど、やっぱり寂しかった。
世の中には、プレイヤーは語らないっていう美学があったり、批評家は一流のプレイヤーになれない、という固定観念があるんだけど、談志師匠は両方できた。松本(人志)さんもそうだと思うよ。
で、まず、一流のお客さんにならないと、一流のプレイヤーになれない、っていうのが俺の中ではあって、それもこれも談志師匠が発端。談志師匠は、"語る言葉"をくれた。
落語のテーマであるとか演出であるとか、そういうものを解体してくれて、落語の楽しみ方を増やしてくれたひと。

:談志師匠が亡くなったのと志ん朝師匠が亡くなったのは、意味合いがまったく違うじゃないですか。
談志師匠と志ん朝師匠が、近くはないですけど、十年おきぐらいで亡くなってしまったときの、タツオさんの感じっていうのはどうなんですか?

:『タイガー&ドラゴン』(注:2005年にTBS系で放送されたドラマ)で落語ブームが到来したときに、「いま、志ん朝いねえんだよなあ」って思った。
せっかくみんなが落語に興味を持ってくれたときに、志ん朝いないっていう。

:ああ、すごいわかります。

:アニメと落語って、90年代は人前で言えない趣味だったんだよ。 「落語好きです」って言ったら「うわ、気持ち悪っ!」て言われたし、 「アニメ好きだよ」って言っても「うわ、気持ち悪っ!」っていわれるから、二重苦だったんだけど。
俺は「いや、ジャニーズが落語演れば、みんな絶対落語観るから」ってずっと言ってて、実際に長瀬(智也)くんが落語演ってみんな興味をもってくれたし、圧倒的に空気感が変わった。
『ちりとてちん』(注:2007〜2008年に放送されたNHK連続ドラマ小説)もそうだし。落語ってジジむさい、堅い、難しい、っていうイメージが徐々になくなって、寄席に行ってみた、って人前で言える空気がやっとできた。

:やっぱりメディアが大きい。

:そう。メディアの空気感が大きい。90年代は、滅びゆくものを観てるっていう使命感があった。その使命感が、志ん朝師匠が亡くなってぷっつりどっかいっちゃったんだよね。
俺の中では、昇太師匠観ても「うん。志ん朝いるし」って思ってたし、志の輔師匠観てても、「でも、志ん朝いるし」って思ってた。最終的に、志ん朝師匠にいくから。
志ん朝師匠を観れば、落語のすばらしさが分かるって、堅く信じて疑わなかった。だから、心の空洞化が激しくて、落語ブームがきたときに、もう既に主役は居ないみたいな虚しさがあった。自分でも、こんなに志ん朝師匠のこと好きだったんだってちょっとビックリしたくらい。
落語好きってことを言わなかったよね、むしろ。「俺、落語憎い」とか言ってたから(笑)。いろいろこじらせてたんだよね。大好きだけど、大嫌い。

:(笑)それもう(アントニオ)猪木と同じですよ。

:そう、猪木(笑)。当時の俺にとって、落語ってジャンルがそうだった。客に媚びる落語家も嫌いだったし、打ち上げ行く客も嫌いだし、「俺は圓生を観た」とか自慢するジジイも嫌いだし、"落語好きな俺が好き"っていう学生も嫌いだし、もう、みんな嫌い!

:(笑)消えてなくなれと。

:落語以外、ぜんぶ消えてなくなれ! てぐらい(笑)当時はね。いまはちがうけど。

準備期間がないなか、『シブラク』のスタート。

DSC_0081.jpg


:そのブランクを経て(笑)、復帰して『渋谷らくご』のオファーが。

:『WOWOWぷらすと』が始まって(注:2011年)、談志師匠が亡くなったときに、談志師匠についてしゃべったんだよね、生意気にも。
僕なりの談志観っていうのがあって。談志師匠は"線"で見ること、演者で追うってことの面白さを教えてくれたひとだと思うんです。毎月観なきゃいけない、同じ噺でも、演出が変わるし解釈も変わる、っていうのを教えてくれた師匠。

:なるほど。

: その日、談志師匠を観に来たひとたちと一緒に作りあげる到達点。体調もある、解釈もある、そういった身体性を帯びて、イメージ通りできたかどうかっていうこと、すべての条件がそろって、はじめてできるのを、"線"で追う楽しさっていうのを教えてくれたよね。
一生続けられる趣味。僕みたいに、ぽっこり抜けても戻ってくる人たちもいると思うから。

:そうですね。まったく同感ですね。

:それをきっかけに、落語のことをしゃべってくださいって仕事があって、こっそりしゃべったりはしていたんですよね。
そしたらWOWOWで落語番組をやっていた射場さんて人に、「ユーロ(スペース)のオーナーが、新しくできるライブスペース (注:ユーロライブ。2014年11月5日オープン)で落語会をやりたいって、顔付けできるひとを探してるけど、タツオさんどう?」と言われて。
WOWOWから仕事もらってるし、断れない。

:"落語好きの夢"ってのがあるじゃないですか。「席亭になれるぞー!」みたいな。

:それは『わせだ寄席』をやったんで、もうやりたいと思わなかった。学生のとき、それやって太ったし! ストレスで(笑)胃酸過多で(笑)

:(笑)『渋谷らくご』が2014年11月に始まって。そのオファーはいつごろですか?

:10月10日ぐらい。「落語会をやってほしいんだ」「いやいや、ご冗談を」みたいなところから、「いつですか?」「来月から」「えっ、だって、動線ないじゃないですか!」「いまから作るから。穴掘るから」って。

:はー、その状況で、なんでやろうと思ったんですかね。

:ユーロのオーナー堀越さんは、『東横落語会』(注:1956〜1985年に渋谷・東横ホールで開催されていた落語会)を観てたそうです。
ユーロの近くに(小劇場 渋谷)ジァン・ジァンもあって(注:2000年に閉鎖)、そこでは新作落語の会をやってた、と。それは僕も何度か行きました。
それが、いま渋谷で落語あんまりやってないからっていうんですよ。渋谷って、若者が騒ぐ街になっちゃったけど、文化を発信する街にしたいんだと。日本で単館上映を初めてやったひとなんですよ、堀越さんっていうのは。理念は崇高なのよ。
でも、落語に関してよくわからないから、「寄席を作りたいからやってください」っておっしゃってて。

:(笑)

:いや、"寄席"って、365日やんないと言っちゃいけないし! 「それ他で言わないでくださいね? あと、僕"席亭"じゃないですよ」って言ったら、"キュレーター"に。キュレーターってなんですか!? 

:(笑)"キュレーター"っていうのは、タツオさん発信ではないんですか?

:堀越さん。僕はネットニュース見て知ったもん。「あ、俺"キュレーターなんだ"?」みたいな(笑)
コントのほうも同じシステムみたいだったし、トークイベントとかいろんな催しを自主開催しているから、その発想は理解できるんだけどね。こりゃ落語界隈敵にまわしちゃうなー、と冷や汗でましたね。

:オファーが来たときの正直な感想としては、日数が足りないと。

:日数足りない。三か月はください、と。いま落語家さんみんな忙しいのでつかまらないですよ、と。

:で、そもそも「顔付けだけ」っていう約束だったんですよね?

:そう。当日来なくていいし、最近の落語分かんないから、番組だけ組んでくれればいいから、って。
だって、"顔付け"って言葉も知らないんだから。僕は使わないようにしている言葉だけど。誰が面白いのか教えてくれ、誰を呼べばいいかを考えて、っていう。

:五日間やるっていうのは、タツオさんの提案なんですか?

:いや、オーナー。

:第二週にやるっていうのは。

:それもオーナー。「第三週にコントやるから。で、第一週は上映やるから。二週目にやってくれ」。

:(笑)

:待ったなし!だよ。じゃあ、まずコンセプトを作りましょう、と。いまは落語家さんもいっぱいいるし、落語会もいっぱいある。だからやる意味あんまりないですよ、っていうのから始まって。それでもやるとしたら、"初心者向けの落語会"に特化してみませんかと。

:それタツオさんが提案したんですか! はー。

:二ツ目と、若手真打を中心にしましょうと。一之輔師匠っていう方がいるので、その方のOKがでれば、来月できますよ、と。で、一之輔師匠に電話して、「来月なんですけど、どこか日程空いてませんか?」「ここだったら空いてます」「ありがとうございます!」
一之輔師匠出られますと、でWOWOWの射場さんは「(柳家)三三師匠に声かけてみますよー」って。もう急遽声かけて。
『(東京)かわら版』の告知も間に合わなかったから(注:『東京かわら版』の情報掲載締め切りは前月8日)。

:(笑)チラシすら、作ってなかったって記憶が。

:なかったなかった。準備期間、一週間ぐらいだもん。11月に四日間、12月から五日間やるって決まったのよ。

:あ、最初は四日間だったんですね?(注:現在は第二週金曜から五日間公演)

:本当は、11月も五日やってくれって言われたんだけど、演者さんつかまりません、と。これは、「12月オープン!」にしてくれ、みたいな。

:なるほど、プレオープン(笑)にしては豪華ですよね、三三師匠と一之輔師匠出て。やってみてどうでした?

:いやこちらの不手際だらけで、もう最悪。

:(笑)

:だって告知できてないんだもん。これだけいい高座、いい演者さん呼んでて、客二十人ってどういうことだ、と。

:僕は第一回出てないから分からないですけど、どんな空気ですか、二百のキャパに二十人しかいないって。

:ロッテVS南海26回戦だよね、もう。

:(笑)第一回って、『マクラ王』とかやってましたけど、あれは、企画物が必要だって判断ですか?

:うん。普通にメンバー集めても、他の会とまったく違わないじゃん。ギャラもそんなに出せないし、ってことは企画でいくしかないなと。

:企画で勝負しようと。

: 11月に関しては、いろんな言い訳を考えてたんだよね。

:(笑)

:「これ一回目だから」っていう言い訳。


"初心者に特化する"シブラクの、ドキュメント。

DSC_0087.jpg


:で、やってみて、ちょっと人数少ないと。一回目『渋谷らくご』をやってみて、どういう感想が来たんですか?

:落語ファンは、やっぱり怒るよね。

:なにに怒ったんですか?

:いや、かわいくないよ。

:かわいげがない。

:だって、"初心者向け"ってことは、こっちを向いてないんだもん。
アニメ業界で、『ノイタミナ』っていう枠がフジテレビに作られて(注:"連ドラのようなアニメ"をコンセプトにした毎週木曜24:55からの深夜アニメ放送)。アニメを観る習慣のないひとたちが、仕事から帰ってきて、風呂から上がって寝る前に、アニメを観るっていう、彼らの生活サイクルに"アニメを観る"ことを組み込む、って目指した枠があって。
『のだめカンタービレ』(注:2007年放映)とか、そういうヒットアニメが出た番組。 いまでも人気の枠なんだけど、やっぱりオタクから警戒されたし嫌われたんだよ、こっち向いてないって。
オープニングに実写使ってるし、なんなんだこのオシャレアニメは! みたいな、叩いてるんだけど、みんな気になって観てる。そういうのをやらないと、誰も観てくれないだろうって思ってたし、 これしかねえ! っていう。

:『渋谷らくご』は、この方法論でいくんだ、と。で、コンセプトも作って。

:コンセプトを作ってくれと。あと、劇場の雰囲気も監修してくれ、番組も編集して、一日二回公演やってくれ、と。

:なるほど。

:僕は、"初心者向けの会"と、うたった会にしようと提案しました。オーナーは平日も昼と夜の二回やりたいって言うけど、それはダメです、と交渉しました。
昼間にやると、当然年齢層が高くなるし、寄席と競合するし、それは本意ではない。ここはぐっと我慢して、ターゲット層の生活サイクルを考えてみたわけです。
現代人の生活サイクルに組み込むのであれば、開演は19時半か20時だと思った。20時開演の落語会って、いまのところないから、じゃあ20時から2時間きっかり、渋谷を22時に出ても帰れるひとたちに向けた、初心者の落語会。
「でも二回やってくれないと困る」「じゃあ18〜19時でいきます」って。18時開演の19時終演で、一時間楽しめて。学校帰りの学生に来てもらえたら最高だな、とか、あるいは午後半休とってでも!という、ちょっと上級者にも楽しんでいただける魅力的な番組も提案したいなというのもありました。
寄席に出てる出演者の方も、掛け持ちできるように。

:そこまで考えてってことですか。

:土日は17時でいきましょう、って言って。

:なるほど。コンセプト決めて、顔付けして、第一回目はいろんなことが欠けてたと思うんですけど。

:もう会場とかもね、マイクのハウリングもひどいし、動線の音はするわ...当日行くまで、どれくらい空間づくりが進んでいるかわかんないわけ!
ホームページもなかなか作ってくれないし、めちゃくちゃなんだけど、でも、その見切り発車ができて、大局観で動けるのが、オーナーのすごいところだし面白いところだと思いました。これは逆に考えると、ある部分では自由をもらえているな、と。

:照明あるじゃないですか、動線の。あれも全部タツオさんの指示なんですか?

:そう、だって照明なかったら危ないじゃん。それに、演者さんからも危ないって声は当然出たよね。

:あれ最初なくて、懐中電灯とかでやったんですよね?

:そう、懐中電灯。

:前座さんが、懐中電灯で照らしてるんですか?

:そう(笑)

:探検隊じゃないですか(笑)

:チラシ刷るお金もないって言うから、もうわかりました、と。初心者向けをうたうから、ネットを中心に拡散します、それしかないです、って言って。で、自分でシブラクのアカウント作って。

:あれタツオさんが作ったんですか(笑)

:"めくり"(注:現在の出演者を客席に知らせるために名前が書かれた木板または紙)を書くお金もないから、パワーポイントでいきましょうって言ったら、唯一のスタッフの木下さんが、「パワーポイント使ったことないです」って。
じゃあいまから覚えましょう!っていうところからです。

:(笑)新人教育もですか。(松之丞注:木下さんは、当時新入社員でした。いまは超仕事できます!)

:で、「タチカワ」じゃなくて、「タテカワ」って読みます、とか、「バセキ」「エンタロウ」「マツノジョウ」って、読み方も教えるところから。
そりゃ、しょうがないよね、木下さんまだ若いんだもの。読めないほうが安心しましたけど。このひとに、「落語おもしろい」って思ってもらえたらいいんだって、お客さん代表と思ってむしろ励みになったよね。

:まさに初心者(笑)

:俺がTwitterやって、演目とか打ち込んで、レビューとプレビューを自分ひとりで全部書いて。

:タツオさんそもそも「顔付けだけ」って話じゃないですか。なんでそこまでやろうって思ったんですか?

:いやだってさー、現場にいないと演者さんに申し訳ないでしょとにかく! あの状態で俺がご挨拶もできない、お客さんもいない、じゃ、どうなってんだ、ってことになるのは目に見えてますよ。
会場も、私も、いろいろなものを失うに決まってますよね。せめて演者さんに、可能な限りになっちゃうけど、誠意を示さないと、思いました。あの状況でそう思わなかったら、そいつは人間じゃない。

:100%つぶれてますもんね、タツオさんがそこまでやってなかったら。Twitterで、その日の来場者数を出すっていうのは、どういう狙いだったんですか?

:動員を気にするファンって、いるじゃん。

:いますね。

:必ず後ろ向いて、どれくらい入ってるか確認する、みたいな。そういう動員を気にする落語ファンが、現場に行かなくても動員が分かるシステムを組んだの。
興行って、来る人よりも来ない人の方が多いので、来られない人でも追いかけて見守りたくなる工夫ってできないかなと思ったんですよね。
一万のキャパを満席にしても、十万人の、来ないファンがいる。『シブラク』は、完全に初心者向けって言っちゃってるぶん、落語ファンからしたら、こっち向いてくれないんだってのがあるし、だからせめてドキュメントとして追っかけてもらおうと。
もし『渋谷らくご』がつぶれるとしても、データとして残しておきたいな、って思って。

:なるほど。

:動員をオープンにすることの意味を誰も理解してなかったから、最初の二、三か月は「もう人数出すの辞めましょうよ」って演者さんたちからも言われたし、木下さんからも言われた。

:そこをタツオさんが、これは"線"で見るものだから、最初はむしろこれぐらいでいいんです、と。

:そうそう。もちろん、迷いはありましたし、いまだにあるけどね。もう数字出すステップはいいかなという考え方もあるし。
で、俺は俺のフォロワーさんと、俺の知り合いのフォロワーさんを『シブラク』に連れてくるっていうのが使命だと思ったから。まずはその人たちに気にしてもらって、タツオを信頼してもらって足を運んでもらおうと、腹をくくりました。
僕は、自分はともかくお客さんだけは素晴らしいお客さんだっていう自信があるんです。現時点で「サンキュータツオ」にたどり着いていると嗅覚とか、アンテナの張り方、すごいと思うんですよ。
落語に関しては、ラジオとかでしゃべってたこともあって、タツオ落語好きらしいぞ、みたいなのはフォロワーの人たちも知ってるから。Twitterやブログで俺が戦ってる姿を見せなきゃ、って思ったわけ。

:まさにタツオさんがドキュメントに飛び込んでく様子を見せる、と。で、『シブラク』二回目から僕が入って。


Vol.3「タツオさん、あなたにとって「神田松之丞」とはなんですか?」につづく。